備忘録

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#0004_010309_メモ・補足

#0004_2001年3月9日
作る会の教科書から考える日本の歴史観

 

教科書検定の運用方法
 外交的に賢明な選択肢はないか
 日本の文化的民度の問題
 教科書検定は先進国では少数
 検定制度は世界的に一般ではない

 初等教育教科書検定がある国
 ドイツ、ノルウェー、中国、インドネシア

 初等教育教科書検定がない国
 イギリス、フランス、ロシア、スウェーデンフィンランド
 アメリカ、カナダ、*韓国、*タイ、*マレーシア、シンガポール
 オーストラリア、ニュージーランド
 (*は中等教育では検定あり)

・教育にどのような目的を持つか
 近代過渡期の従来型の一斉カリキュラムで年齢別の発達課題があり、
 一斉に同じことをやらせるという場合は検定制度は相性が良い
 現在の日本の教科書検定制度は、
 最低限必要なこととそれ以上書いてはいけないこと、
 を非常に狭いバンドを指示する
 一般に先進国が採用しているのは、個人カリキュラムを主体としていく方策で、
  各人がどういう知識にどういう動機でアクセスするのかをオープンにする
 この場合、間違いをチェックする知識上の検定制度になる
 例えば、年号やミスプリ、明らかな事実の誤認など

 戦後の昭和22年(1947年)に学校教育法の中で、

 小中高で検定を実施するようになった当初の意図と、歴史認識の問題
 政治的なニュアンスを帯びてしまう問題がある
 侵略なのか、進出なのか、話題になった
 文部省が旧内務省系列だった
 反組合的、反マスクス主義世界観的な検定が行われていたということがある
 世界観のチェックは検定制度だけが悪いのではなく、
 執筆者側にもマルクス主義的な思想が支配的であったこともある

 特に、歴史教科書については難しい
 間違いのチェックという意味での検定は必要なのか、
 明らかな間違いは調べて訂正すれば済む話である

 そもそも、冷戦時代のマルクス主義か反マルクス主義か、
 という二項図式でなく、
 イデオロギー、思想、民族、利害の対立が非常に入り組んでいる
 状況なので、ある立場から見るとこう、別の立場から見るとこう、
 といったように多元的に、かつ並行的にリアリティや価値観を見せるような
 やり方こそが    歴史教育、社会科にふさわしい

 現在は近現代史まで学んでから大学へ進む人が多い

 教科書をつくる会的な部分は恥ずかしいと感じた
 日本はすごい、日本人はすごかった、そのことに誇りを持とう
 といいう部分が、、、

 JCOの問題や日本の政局について、
 特に、先進国、海外のメディアが日本をどう見ているか
 日本は思っていたよりも近代的でない、ダメな国では
 日本は何よりもだめな日本を経由せず、単に謝罪だけがあった
 自分は悪かったごめんなさい、というのと
 自分はダメでした、というのは基本的に意味が違う
 自分たちのどこがダメなのかを精査して、
 ディテールまで分け入って反省することをしていない

 敗戦について、日本では失敗の研究をしていない、
 アメリカではベトナム戦争で失敗を研究して失敗学とまで呼ぶようになった
 誇りは誇りでいいかも知らんが、失敗は失敗として「悪ぅございました」ではなく、
 どこがダメだったのかを考える材料を提示できないのであれば、
 教科書として非常に価値の低いものになる。
 つまり、民度を上げることに寄与しない。

・ワドル艦長に謝らせた
 謝罪を優先させた場合、つまり被害者の感情の回復を優先した場合、
 具体的にどの部分がどうダメだったのかの考えて、検証することが
 できなくなってしまうことが多い。というか、日本ではそれがほとんど

野口悠紀雄の40年体制
 戦前戦後は地続き
 天皇陛下万歳アメリカさんありがとうへ、
 表面上は変わったが実際のシステム運営は同じ
 組織で一丸となって進む、何かが起こったときに
 誰の責任か、ではなく、みんなが悪かったんだと
 なぜか罪の意識を共有して突き進む
 経済成長には役立ったが、根本的に日本を敗戦に
 追い込むようなシステムであったが
 そこまで考察が及んでいない

・経済主導型
 経済主導型は経済が成長している時には、
 日本の組織的原理は明白な害悪を及ぼさない
 成熟社会、成長が止まって、経済が停滞してからは、
 経済的な目標を掲げていた人たちは空洞化する
 アノミーに陥る
 経済が停滞して、ここには夢はない、どこに夢を抱くか、
 誇りやプライド、日本独自の文化など、奇妙な価値観に移行する
 それ故に、従来あまり表に出てこなかった問題が急に浮上する

 まさに自分たちをダメにした作法、
 汚いことばっかり教える、ダメなことを教えるのではなく、
 誇りを持てることを教えよう、という姿勢ではなく、
 自分たちのどこがダメだったのかを精査する、検証しきることに
 誇りを持てるように推奨するべき

・レトリックなメディア報道が繰り返されて、
 それを見ている我々が慣れてしまった結果、
 問題認識や議論の勢いが衰退していないか
 一般に、先進各国で教育改革や治安などの内政改革に手を付けるのは、
 多くの場合、経済が停滞したとき
 経済が順風満帆のときには、様々な制度の矛盾は覆い隠されがち
 なんだかんだ言っても、成長して、失業率が下がり、
 賃金は上がっているじゃないか、といって見過ごされる
 
 例えばアメリカの教育制度では、
 従来の工場労働者養成型(軍隊に判を取った制度)から、
 自己実現型、自己決定試行錯誤型のシステムに変えていくことが一般化した

 教育や治安が問題に上がるのは一般的だが、
 過去回帰型(昔はよかったという主張)の処方箋ばかり出てくる

・公、パブリック、愛国心、尊厳への2つの伝統
 旧枢軸国側の思想
 大いなるもの、崇高なものと一体化して人間は良きものになれる
 国とは、まさに一体化すべき崇高なもの、国自身が崇高である
 和をもって尊しとなす(聖徳太子)
 公が失われたのは、万人が帰属する大いなるものが失われた

 革命を経た"連合国"側の思想
 自分が自分で培ったものに誇りを持つ
 国とは、自由を支えるための必要最低限の公の器である
 我々が自由に試行錯誤できる元の公共財やルールは
 血であがなわれているからタダ乗りしてはいけない、
 それに向かった動機づけが必要である。
 公が失われたのは、違った人間と共生するために必要なルールや
 想像力の領域内において、コントリビューション(寄付、出資、貢献)
 する動機を失った

 初めから、日本では出発点のずれが自覚されないまま
 愛国心や公についての議論が進んでいる
 意味の違う2つの公の解釈について、免疫がない
 
つくる会のメンバーは確信犯か
 自分たちの理想を持っていて、戦略的に巧みな言い回しで、
 公が失われた、と主張しているのか
 そうではなく混同していただろう
 つくる会は、自己決定による尊厳の確保は、無理である、
 我々の伝統に反しているし、文化にはそぐわないという反論をする
 
天皇主義
 経済成長が停滞し、各個人が私利私欲の充実を目指す段階では、
 国民が一丸となるには天皇の存在は避けて通れないのでは?
 外国人排斥の合理的な理由についてもできないであろうが、
 その理由としても天皇を掲げる人がいる。
 
・日本の共同体文化
 そもそも日本国民という概念は天皇抜きに成立できなかった
 もともと藩で分かれていて、国境といえば藩と藩の境で、
 民衆には日本という概念がなかったので、天皇について
 知らない人がいたので、明治憲法制定前に認知度を高める施策を行った
 旧枢軸国側の主張をする立場であれば、天皇制を掲げることにならざるを得ない
 古くは薩長の人が革命を起こすために天皇を持ち出した

・日本のねじれ
 日本の歴史や天皇については、急速な近代化を経てねじれが生じている
 天皇は戦時中に打って一丸となるために掲げられて、その後革命の動機づけに
 利用された。現代では、旧枢軸国側の公の象徴として持ち出されており、
 それをもとに国民を統一することは難しい
 基本的に日本国民は、歴史の裏打ちがある利害集団としてとらえ直す必要がある
 
・日本人が戦争に行くとしたら、どんな動機づけがあるか
 アメリカでは、全国民が自由・平等のため、
 それを代表する合衆国憲法を守るため、というが、日本ではどうか
 きけ わだつみのこえ
 故郷や家族といったような自然共同体に帰依するのであれば、
 むしろ国といったような大きな人為的な共同体からは志を背けるはず

・自由と責任、義務
 自由と自由に必要な公共財
 公共財に必要なコントリビューション
 「**に忠誠を誓わないのか」という議論は困る
 つくる会の書き方として、責任と自由、義務と自由という
 責任と義務が自由の前にきている
 自由が先で、逆転することはあり得ない
 滅私奉公、滅私が先にある日本的な発想は近代的思考と反している
 利益を享受するために私を殺すのではなく、自由を享受する代わりに
 血であがなわれた公共財へ貢献する

・モデル提示要求
 最大多数の最大幸福ではなく、最大多数の最小不幸
 何が幸せか、一概に言えないので万人が試行錯誤して追求すべし
 しかし、人権侵害のような不幸については法律で担保する
 なぜか日本では、何か崇高な目標があると法律で裏付けしろという
 最大多数の最大幸福、人の幸せはこれだ、という部分を法律で裏打ちしたがる
 お上に何が幸せのモデルなのか示してください、と問うて、
 それを法的に裏付けてください、という
 何かにつけて、お上にモデルを提示してもらえないと邁進できない
 例えば、個人カリキュラム化への移行期間として、
 総合的学習の時間を設定した
 目的は、文部省がモデルを提示せず、総合的な所轄の中でモデルを
 発見して教育に結び付けることだったが、まずはそれについてのモデルを
 文部省へ要求する

・大学生の将来の志望
 日本では7割が何をしたいのか、を持たない
 良い学校、良い会社という教育が隅々にまで行きわたっていて
 何が自分の幸せかを試行錯誤できない

・青少年有害環境基本法
 有害メディアの悪影響論ではなく、
 幸福追求としての不意打ち回避、
 見たくないものを見ない、見せたくないものを見せない
 という海外の対応を紹介した
 大島理森議員からは、そうしたことを言う人はいなかった、
 何か言われても全面反対か賛成か、どちらかだった、と言われた
 官僚、役人としては、規制が増えれば利権が増える、
 もしくは、我々が正しい判断を下すべき、民衆に任せるべきでない
 という認識が強いのではないか

内閣法制局長官政教分離の原則についての解釈
 宗教団体の政治活動は課税権、警察権を
 行使していなければ問題ない、としている (1972年)
 これ以外の活動は全て許されている
 法律、法解釈の曲解として、法律に違反することにならない
 憲法20条では宗教団体は政治の権力を行使してはならない、とされている


新しい歴史教科書をつくる会
 1997年に結成された日本の社会運動団体
 従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響が強いとして、
 従来の「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」ないし
 「コミンテルン史観」にも与しない立場(「自由主義史観」)から、
 戦後の歴史観を否定する新たな歴史教科書をつくる運動を進める団体
 コミンテルン共産主義インターナショナル
 国際共産主義運動の指導組織(1919年~1943年)

*小林 よしのり (1953年 -)
 日本の漫画家・評論家
 よしりん企画社長、ゴー宣道場主宰者、大東亜青年塾名誉塾長
 福岡県筑紫郡大野町生まれ、福岡県福岡市出身
 福岡大学人文学部フランス語学科卒業
 1976年に『ああ勉強一直線』を投稿しデビュー
 『東大一直線』『おぼっちゃまくん』などのヒット作を持つ

1940年体制
 戦後の日本経済の多くの仕組みは、1940年ころに総力戦としての
 太平洋戦争を遂行するため導入され、それが生き残ったという主張である。
 「1940年体制」は野口悠紀雄が名付けたもので、生産力の増強を目的に
 政府によって強制的につくられた「日本型企業(終身雇用、年功序列賃金、
 企業別組合)」「間接金融優位」「官僚体制」などを指す。
 非常時に作られた体制は、敗戦と占領期を生き延び、
 垂直統合型工業生産に適していたことから戦後の高度成長に大きな貢献をした。
 高度成長へと導く基盤となった日本的雇用・間接金融システムは、
 日本経済が欧米への『キャッチアップ』の段階にあったときには機能したが、
 それを終えた日本にとっては成長の障害となっており、そのためには「構造改革」が
 必要である。『金融護送船団方式』は結果として、社会的非効率性を生んだ

レミング
 レミング(Lemming)、和名は旅鼠[タビネズミ]
 北極及び北極近辺のツンドラ生物群系に生息するネズミの一種。
 体長7~15cm、体重30~112グラムほどの大きさで、
 長くてやわらかい毛と非常に短い尾を持つ。
 草食で、草やコケ、小枝などを食べる。
 レミングは、「集団自殺をする」と考えられている。
 スカンディナビアでは「集団で海に飛び込む」という伝説が
 古くから知られ、また16世紀頃までは「雲の中から自然発生する」とも
 考えられており、1555年のスウェーデンの文献に、「雲から生まれる」ことを
 示唆する木版画が描かれている。
 実際には、集団移住を行なっている際に、一部の個体が海に落ちて溺れ死ぬことは
 あるが、これは自殺ではなく事故とされ、すべての個体が海で溺れ死ぬことはない。
 また、レミングは泳ぎがうまく、集団移住の際に川を渡ることはよくある。

アノミー
 社会的規範が失われ、共通の価値や道徳基準がなくなった混沌状態
 心理学では不安、自己喪失感、無力感などに見られる不適応現象

二・二六事件 (1936年2月26日~29日)
 日本のクーデター未遂事件
 皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官・兵を率いて蜂起し、
 政府要人を襲撃するとともに永田町や霞ヶ関などの一帯を占拠したが、
 最終的に青年将校達は下士官兵を原隊に帰還させ、自決した一部を除いて
 投降したことで収束した。この事件の結果、岡田内閣が総辞職し、
 後継の広田内閣が思想犯保護観察法を成立させた

きけ わだつみのこえ (1949年出版)
 第二次世界大戦末期に戦没した学徒兵の遺書を集めた遺稿集。
 1947年に東京大学協同組合出版部により編集、出版された東京大学
 戦没学徒兵の手記集『はるかなる山河に』に続いて、1949年に出版された。
 BC級戦犯として死刑に処された学徒兵の遺書も掲載されている。
 編集顧問の主任は医師、そして戦没学徒の遺族である中村克郎をはじめ、
 あとの編集委員として渡辺一夫真下信一小田切秀雄・桜井恒次が関わった
 出版の際、全国から本のタイトルを公募し、約2,000通の中から藤谷多喜雄のものが
 採用された。そもそもの応募作は「はてしなきわだつみ」であったが、
 それに添えて応募用紙に
 「なげけるか いかれるか/はたもだせるか/きけ はてしなきわだつみのこえ」
 という短歌が添付されていた。
 「わたつみ(わだつみ)」は海神を意味する日本の古語である。