備忘録

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#0010_010511_複雑化社会の偏向報道と矛盾 (地雷とダイヤ)

#0010_2001年5月11日
外務省腐敗、個人情報保護法、いったいどこに問題があるのか


個人情報保護法
 官僚主導の法案で、議員側にほとんど見識がなく、
 官僚の説明を鵜呑みにする形で世論形成がされている
 ロビー活動での押し戻しが難しく、メディアでの指摘が必要
 対して、青少年社会環境対策基本法は、議員立法のため、
 ロビー活動しやすく、自民党 大島議員、民主党 水島議員などと
 話をして、慎重に進められている
 

田中真紀子と外務省の報道について
 NHKで”次官と審議官が大臣室に出入り禁止”と報じられた
 いい年をしたおじさん、おじいさんが部屋に入れない、
 というのは何なのか
 田中真紀子と外務省のバトルについて、
 この問題は田中の妥当性と、メディア報道の2つに分けられる
 メディア報道は、官僚サイドと田中サイドの2つあり、
 官僚サイドの報道は、読売新聞で、田中の資質の問題視、
 田中サイドの報道は、東京新聞朝日新聞で、外務省の腐敗
 どういうメディアに接触するかで、ものの見え方が変わってしまう

 今、田中真紀子が外務省の改革を断行しなければ、国益にかかわる
 外務省へのイメージ、特権階級やエリートといった国民の意識が
 揺らぐことは良いことである
 こういう外圧がないと、外務省、官僚組織の改革ができない
 一時的に、外交的な失礼があったとしても、さして問題ではない

 読売は田中真紀子衆院予算委で機密費問題に対して、
 苦しい答弁をしたくないから、関係者の処分を済ませたい
 自分の面目のためにやっている、と報じた
 が、これは当然のことである。
 説明をつけることは行政のチーフとして当たり前のことで、
 それをポピュリズムであるかのように報じる読売新聞は
 デスクレベルでダメな新聞である
 自民党内で改革を進めたとしたら、派閥対立の側面はある
 どちらがメインで、どちらがサブか、きちんとメディアが
 報じる必要がある

 もともとはサミットの十万食のお弁当に、
 なぜか北海道の業者が入っていた
 わざわざ目玉焼きを北海道で冷凍にして、
 東京で溶かして、沖縄に運んだ
 これは、鈴木宗男が関与したと言われていて、
 松尾という口座に何億円も振り込まれていたという

・会計課長に対するの入院命令
 命令を下した人物は国家公務員法違反、処分対象である
 外務省が自らの外交機密に関わる利権を守るために、
 国家公務員法に違反して、触法行為を行っている
 病院に入れて、気が付いたら退院、大臣に断りなく、
 もうイギリスに行ってしまった、とのこと
 大臣は「あんたらの金で呼び戻せ」と言う
 病院に隠して、大臣の日程の中で忙しい時を狙って退院させ、
 海外へ行かせた、という顛末だろう
 要は、昔からこういうことをやっているということ

・各メディアの論調
 外務省担当記者の力関係が読み取れる
 読売新聞では、官僚寄りの記事が出た
 外務省担当部門が力を持っているだろう
 東京新聞は外務省部門の力が弱くて、
 外務省の記者から上がってきた原稿を
 編集長、デスクレベル、政治部長レベルで、
 永田町などの記事を混ぜて、外務省側の色彩が弱まっている

朝日新聞社内での対人地雷問題
 記者の力関係で、出てくる記事の内容が変わる
 地雷問題は防衛庁管轄で、朝日新聞では、
 防衛庁は社内のシニア記者の管轄であり、
 それまで国内防衛のための地雷の有用性を延々と書いていた
 3年前、反地雷運動が盛んになった当時、
 社会部の若手の女性記者は反地雷のNGOを取材したかったが、
 同じ朝日の防衛庁の記者から隠れて取材しなければならなかった
 この現場の力関係のせいで、朝日新聞からは反地雷のNGO側の
 視点がほとんど書かれなかった

ポピュリズムでの対抗
 結局、現場の力関係が、要は最終的な結果としては、
 役所の言い分を官報よろしく垂れ流す
 それを放置することによって、マスコミの第四の権力
 行政に対するチェックという、期待される機能を果たせなくなる
 田中真紀子をある意味で弁護、応援したいのは、
 ロジックというよりは具体的な戦略としてポピュリズムしかない
 マスコミと行政の利権がほぼ重なる状況を何とかしないといけない

・外交機密費問題の決着
 システムを変えるのは人
 一人の人間の振る舞いでフレームが揺らぐ
 個人プレイヤーがどう振舞うかによって、ゲームの中身が、
 あるいは、ゲームのルールが変わってくる、
 そういう可能性があることを国民に思わせたのは功績である
 長期的に見て、後発の議員の動機づけに役立つことになるだろう

個人情報保護法の問題点
 報道の定義、範疇と、報道機関か個人か
 フリーランス、雑誌は報道機関に入らないなど
 今まで見落としていたこととして、
 個人情報の取り扱い者に、行政や政府機関が含まれていない
 別途、法律による、とされているが
 法律がないので事実上、言及がない

 既存先進各国の個人情報に関する法律では、
 行政の持つ情報に対して、どうチェックするかに主観がある
 行政は強制的に情報を収集することができて、
 公的サービスと称して、それを利用することができる
 だから、行政のチェックは民間のチェックより重要になる
 こういう常識化した観点が抜けている

 もともと、3年前、盗聴法のときにも話題に挙がったが、
 当初は、公権力が持っている情報を個人がチェックする
 自己情報訂正権を認めさせる、という内容に焦点があった
 その後、IT戦略会議など、個人情報の取り扱いに議論が移り、
 IT関連法案となってしまった
 今では、公権力のチェックを全く度外視した形で、
 インターネット業者、通信業者、金融機関などの
 情報の取り扱いについてのみ、論じられるようになった
 実は、フレームがずれてしまっている
 まずは、行政をチェックするのか、民間をチェックするのか、
 という二項対立があり、優先順位は行政、民間の順で、
 次に、民間には何が含まれるか、という定義問題が発生する
 民間の中に報道が入る、となれば、民間を規制することによって
 公権力に対するチェックのフリーハンドが1つ消える、
 ということになる
 
 要は、行政権力から我々民衆の側の利益を保護するという観点で
 公権力をチェックする、という話から、
 非常に定義の不確かな”民間”に対して網を被せることで
 国民ではなく行政に奉仕する法律になっている
 この根本的なフレームの問題に「おかしいじゃないか」という
 感受性を抱けないと、思うつぼである
 このフレームの中で、報道の範囲をどうするか、
 機関と個人の違いをどうするか、と言っている以上は
 官僚の思惑通りである 

・我々にとっての個人情報保護法
 世論として、この法律に対する問題意識が薄いのはなぜか
 青少年有害環境基本法については、暴力、性描写の有害性について、
 安易に規制に賛成してしまうのは、わからなくもない
 保護法については、メリットとしては、
 ダイレクトメールが来なくなる、程度のことでしかないのに、
 一方で、警察権力による個人に対する情報開示要求に抗えない、
 というリスクが度外視されているように思う
 この法律はおかしい、とならないのはなぜか

 盗聴法の時と状況が似ている
 当時は、オウム事件から、組織犯罪に対抗する必要がある、
 となって、その法律の問題点が度外視されて、世論が流された
 この時と同じようなフレームの巧妙なすり替え起こっている

報道被害について
 法務省の方では、人権問題の審議会で、
 報道被害救済の政府系独立機関を作るべき、という議論があり、
 現在、中間とりまとめの段階にある
 これは、個人情報保護の観点の外で、従来議論されてきたので、
 その範囲の中で決着すればよい
 これについては、映倫青少年委員会、BROなどの
 自主規制機関でいくか、
 行政の機関でいくのか、といった様々な問題があるのだが、
 個人情報保護は別の問題

 中川官房長官についてのスキャンダル報道が発端となり、
 個人情報保護法で網を掛けられないか、という議論が出た
 法案作成にも大きな影響を与えた可能性があり、
 フレームが変わったのでは

・メディアへの不信感
 保護法については、各メディアが報じているが、
 世論が反応しないのはなぜか

 本当は2つの意味を持つものが、一方だけ強く報じられている
 例えば、盗聴法のように、組織犯罪から国民を守るため、
 という謳い文句で、行政の個人に対する濫用が覆い隠される
 保護法も、同じく、国民の個人情報リストを名簿業者から守るため、
 という謳い文句で、対個人の権力濫用のチェック機構がない
 盗聴法はオウム事件、保護法はメディアへの不信感から
 覆い隠されている

・メディア自業自得の世論形成
 社会環境対策基本法では、
 有害コミックの青少年への悪影響を報じていたメディアが、
 自分たちの性的描写について問われた
 盗聴法では、行き過ぎたスキャンダルの取材、都合報道から、
 国民の不安が煽られた
 保護法でも、メディアの公正な取材手続きがなされておらず、
 報道被害が拡大したために、世論が傾いた

・地雷報道問題
 視聴率のための喜怒哀楽報道が多い
 例えば、TBSの地雷報道では、現地に女性タレントを放り込んで
 悲惨な現状を報道する。その一方で、ダイヤモンドのCMを流す。
 地雷原であるアンゴラでは、コンゴ沿いのダイヤモンドが
 UNITAというゲリラの資金源になっている
 TBSはそのダイヤモンドを仕切っている企業のCMを流す

・携帯電話の弊害
 本当は両立しない議論、正確にいうと、
 何かの条件付きでのみ両立しうる議論がある

 例えば、携帯電話の費用工面、
 子供の使用料を親が負担する、または援助交際で工面する、
 さらに、出会い系サイトの弊害が問題として報じられる
 その一方で、景気対策としてIT革命進める
 若者の携帯依存とITによる経済対策は両立しない問題なので、
 本当なら、若者に対してどのように手当てをしたうえで、
 景気回復、IT革命を進めるか、議論されるべき、
 しかし、メディアが分かりやすく感情に訴える報道しか
 しないため、覆い隠される

 社会が複雑になっているため、あちらを立てればこちらが立たず、
 どちらかを対策すると、もう一方がないがしろになる
 メディアはこういう構造にまで切り込んで、
 自分たちで考えて選択しなければならない
 簡単に言えば、都合の悪い決断を迫るような報道をするべき

 例えば、通信がらみのIT需要が落ちても、
 社会的な公正さが守られるほうが重要だ、
 あるいは、ルールが守られることによって
 景気回復が遅れてもやむなし、など

 痛みのない改革はない、
 我々民間の問題についても、様々な問題が絡み合っているため、
 これだけ良くする、ということができない

・メディアの喜怒哀楽報道
 今では、どんな内容に興味が集まって視聴率をとれるか、
 という観点からのみ、放送番組が制作されている
 放送業界の若手は入社した瞬間から、
 この論理の中にいて、これしか知らない
 こういう考え方しかできない世代となっている

 例えば、夜の12時から2時台は、数字をとる為ならば、
 F1をターゲットに何をやってもいい、
 あるいは、深夜帯にショップチャンネル
 放送していることが、特に驚きでもない世代がほとんどである
 夜中にパンチらを見せることで数字をとる、
 ということが恥ずかしい、と感じる若手はいない

 ただし、40代もしくはそれ以上のNHK、または民放の
 関係者の中には、マル激の視聴を周りに勧める人もいる

・マスコミの腐敗
 マスコミと金融が腐ると政治も民間経済も腐る
 マル激の放送内容が必要とされるのはメディア内部の人
 メディアが政府、行政をチェックできない
 根本的な問題にメスを入れて、うまくこれを処理するように
 官僚や政治家を動機づけるような機能を果たしていない
 バブルの時には銀行をチェックしていなかった
 当時マスコミは銀行経営の実態を取材していたが、むしろ持ち上げた

 三権分立論などと同じように、人間はエゴイズムの生き物なので、
 エゴイズムになるなと言っても、社会は良くならない
 エゴイズムに基づく、お互いのチェック機構、オリエンテーション
 どう築くのか、知恵を働かせないと良くならない
 政府はメディアがチェックする、メディアは何かがチェックする、
 といったようなチェック機能を設けなければならない

・メディアの集中排除原則の失敗
 欧米では禁止されているが、日本では新聞社がテレビ局を持っている
 新聞、テレビがお互いに問題のある構造を報道することができない
 相互批判ができない
 これからインターネットにも席巻してくる可能性がある
 再販制度は、テレビには関係ないはずなのに、
 クロスオーナーシップのせいで、新聞を批判できない

EUの歯止め
 イタリアではシチリアマフィアの違法なメディア支配がある
 しかし、EUのメンバーであり続けるためには、ある種の
 チェック機構が必要となるため、この支配に歯止めがかかる
 日本にはこうした仕組みがない
 集中排除原則に従わない場合の目に見える不利益がない


<書籍・映画>
 なし

<所感>  2024年2月12日
 深夜帯のショップチャンネルに違和感を覚えない世代、というのは
 当たっている。私の個人的主観での"公意識"は、就職当時では、
 「パチンコみたいな業種には行きたくないよなぁ」という程度で、
 今のように、買い物は国産メーカー適正価格、など思ったことはなかった

 印象的な文言特になし