備忘録

マル激全アーカイブス視聴を目指して

#0007_010416_メモ・補足

#0007_2001年4月16日
談合がメディアをダメにする


・米中空中衝突事故
 中国側の戦闘機パイロットはトップガン、エースのような噂話が流れた
 
・米中の噂話
 コソボ紛争時に、アメリカのステルス戦闘機F117が撃ち落されて、
 セルビアに墜落した。中国はセルビアからその戦闘機を買い取って、
 中国大使館の地下に隠した。アメリカは大使館を攻撃したが、中国側が
 事前にそれを察知し、戦闘機を移動していた。アメリカは大使館への攻撃を
 誤爆とし、古い地図を持ち出して言い訳をした。
 なお、戦闘機のエンジンを解析すると、その周波数を特定して、ステルスでは
 なくなってしまうため、アメリカが鹵獲を恐れた。
 というのが通説。
 ハイテクウォーフェアの側面が強いのでは
 と思うが、実際のところはわからない

・米中の緊張状態は?
 クリントン政権時代は、戦略的パートナーとして、
 公的な空域内での哨戒活動でとどめていて、
 中国空域との境界まではそこまで近づかなかった、と言われている
 ブッシュ政権では、ぎりぎりまで近づいてデータ収集していた
 共和党は親台湾派なため、意識しているはずである
 ただし、本当のところは永田町の比ではなく、外交は分からない
 アメリカのような情報公開法がある国でさえ、ナショナルセキュリティとなると、
 25年間は情報が秘匿される。25年後に、学者が頑張って掘り起こしても、
 本当のところはちょっとしか出てこない。

 ただし、実際何が起こったかわからないにして、何が起こったことにしたか、
 というところを見ると、外交の流れが読めることがある

亀井静香総裁選出馬の意思表明の意図とは
 野中、森などの経世会的なるものが
 操り人形にできそうな人を、一本釣りしている。
 その動きを見て、亀井派を守るために、トップの亀井静香
 出馬の意思を表明した。トップが立候補すれば、その下からの
 立候補はできなくなるため

・日本の政治記者の特性
 日本の政局の本当のところは、議員と仲が良い、
 インサイダーな関係にならないと知りえない
 しかし、インサイダーな関係になってしまうと、
 その情報は記事に書くことができない

 海外でもインサイダーべったりや、
 独自に取材をして癒着無しというスタイルがあるが、
 最低限の情報へのアクセスは双方に認められている。
 日本では後者の側に、最低限のアクセスが保証されていない

再販制度の存続
 公正取引委員会再販制度の廃止を見送った
 理由は、廃止に向けた国民的合意がないため
 世論の98%が再販制度を望んでいる、という報道になっていた
 これは、メディアがその必要性しか報道していないから
 反対の意見も、同じスペース、時間を割いて報道すべき

・ジャーナリズムの客観性
 あるテーマを取り上げた瞬間に、絶対的な客観性はありえない
 あるポイントを決めたなら、穴を掘る
 左右から両方同じように掘り進める
 穴は多いほど、民主主義は強固となる
 掘った先にあったものを地上で公表し、その判断は視聴者に任せる
 ただし、曲がった掘り方だと、歪んでしまうので、例え統治権力でも許すな
 と、学生時代に教わってきた

 自民党を報じたら、民主党も報じろ、というのは、
 穴を掘るポイントまで指定するような介入で、
 議論の余地がないほど、話にならない

・日本のジャーナリズムの脆弱性
 ひとつの会社に属してしまうと、会社の指定した範囲内でしか、
 穴を掘れないし、外に穴を掘ろうという発想がない
 ジャーナリストトレーニングの機会がない
 日本のメディアでは、非常に情緒的な理由で、報道の方向が逆転する
 ある人物にバッシングが集中したかと思うと、それはやり過ぎ、と擁護に回る、
 あるいは、誰かが称賛されると、それはほめ過ぎだ、と振り子のように振れる

・喜怒哀楽と損得報道
 ジャーナリズムの基本として、
 喜怒哀楽と損得に依存してはならない
 本当に重要なことは、喜怒哀楽や損得と関係がない
 かわいそうな人物を中央に据えて、感情に訴えるような報道は
 ジャーナリズムとかけ離れる

・日本のジャーナリズム教育
 欧米的な意味で、職業ジャーナリストを
 育成するプログラムとして一番近いものは、
 全国紙やNHKで行われている、新入社員の地方への配属
 権力構造などがシンプルな場所で、毎日現場へ出て、
 毎日赤ペンで原稿を直される、というのを3~5年続けると、
 ものの見方、考え方、世の中の仕組みについて、素人から脱却する
 例えば、ある法案が通る、通らない、というときに、その背後にいる団体まで、
 考えが及ぶようになる。これは、単に、その団体を知っているというのではなく、
 自分の経験した地方の支局に当てはめて、取材を通して得た実感として
 リアリティをもって想像できるようになる
 なぜその議員がそういう投票をするのか、発言をするのかが理解できる
 その積み重ねが大事
 海外では、地方での修業が厳しい
 苦節十年でようやく中央に行けるかどうか
 腐っても、ワシントンにいる記者は一流
 海外では記者の流動性があるので、
 一度フリーランスになって出版し、大手に戻るということもある
 日本では、新聞の全国紙とNHKが、海外と近いが、
 テレビ局はジャーナリスト育成が全然ない
 いきなり中央へ配属されて、右往左往となる

・インスティチューションジャーナリズム
 日本の記者は、サラリーマン、企業人
 記者クラブなどの、談合、村社会がジャーナリズムに良くない
 日本では流動性がなく、朝日なら朝日でずっと
 テレビ局に入りたい人は「ジャーナリストになりたい」とは言わないほうが良い

・システムと人
 最終的な問題はシステムだが、システムを変えるのは人である。
 言い換えると、制度やシステムが変わったときに、耐えられるような
 人材の分布がないと、それを受け入れることができない
 人材をどう育成するか、質を変えていくか、と考えるとやはり教育が重要

有明海諫早湾の水門の開門
 利害衝突はもともとあったが、
 水門の開閉がフォーカスされてわかりにくくなっている
 諫早湾干拓によって発生した赤潮による養殖のりの不作が、
 きっかけとなっているが、のりの養殖自体が環境に悪い側面を持つ
 昔から、のりの養殖には強力な酸が使用され、漁業関係者内では
 問題視されてきた
 しかし、メディア報道は開門だけを取り上げて、
 養殖のり自体が持つ悪影響を報じようとしない
 養殖のりの業者が被害者で、行政との衝突をピックアップし、
 両側から掘ることをせずに、一方的に報道する
 
・メディア報道の問題点
 ひとつは、水門の開閉と汚泥の流出、流出したとして、どの程度の
 海洋生物に影響が出るのか、という科学的な視点が欠けていること
 もうひとつは、養殖のりを擁護する報道をしないと、情報源への
 取材がしにくくなる(養殖のり自体の悪影響を報道すると、のり業者が
 口をつぐんでしまう)、という事実上の利益共同体ができあがってしまうこと

・記者のクオリティ
 情報源にとって、取材に応じるもリスク、応じないもリスク、というときに、
 応じないリスクの方が大きい記者にならないといけない
 クオリティの高い記者が世論に反する記事を書く場合、
 反対の主張を慎重に調査してから書く
 普段の順風な記事よりも根拠を入念に調べた上で報道する
 そういう記者の記事は反対意見の人が見ても、頷けるような内容なっていて、
 例え反対の意見であっても、その信頼から取材に応じたほうが得だ、と
 思わせることができる
 仮に応じないことが、自分の反対意見の表明の機会がなくなる、ということになる
 (自分の反対意見も根拠をもって記事にしてくれる期待がある)
 
記者クラブ制度とは違った排斥システム
 最低限の情報源に対するアクセスビリティーが保証されていれば、
 そこから先の、ある種のプライベートな関係の中でのアクセスビリティー
 インサイダーであれば知りうること、インサイダーであるが故に書けないこと、
 が生じても、弊害は少ない。
 しかし、記者クラブとは違ったメカニズムで、記者の全員が当事者にとって、
 有利であろうが不利であろうが、最低限のことは書く、書かざるを得ない、
 それがマナーだ、ということで合意形成、タフネスの共有がなければ、
 最低限の情報が開示できない
 もし、記者がひとりだけ、養殖のりの悪影響を書けば、
 その記者は村八分になり、情報源から遠ざかって記事が書けなくなる
 日本では、他の記者が自分の取材を有利に進めるために、
 そういう記者の排斥を助長することもある、という
 
分断統治、ディバイドアンドルール
 利権構造の違う集団を2つ作って、利権のあるグループが
 自分の利権を保存される方向で、自分たちは自発的な
 行動しているつもりで、統治権力側が思う通りの行動をとる
 これは、統治権力側の意図的なシステム構築や規制強化なのか
 それとも、システムに内包されていて、結果的にコントロールされているのか
 歴史的な経緯を考えると意図的なシステム構築ではない
 昔の冷戦体制がきつい時代は、三鷹事件松川事件のように、
 いろいろなことが起きた。
 要するに、右対左の対立があった
 マスコミ、記者クラブも含めて、右に対しては左という、
 ある意味の利害を共有していたので、記者クラブの利権は
 統治権力の利権と必ずしも一致していなかった
 冷戦が終結して以降、記者クラブ制度は対抗する必要がなくなって、
 むしろ、権力と利害を共有するものに反転した
 いつの間にか、制度の廃止が既得権益の喪失を意味することなり、
 気づいた時にはやめられなくなっていた
 これが、今の状態ではないか

・今の同世代(40代前半)の官僚
 官僚、統治権力が記者クラブ制度を利用して、メディアを
 コントロールしようとしている、というのは確信犯かどうか、
 実際のところわからないが、
 昔だったら、官僚は無謬主義で聞く耳をも持たないが、
 政治家はもう少しマシで、、、といった話が一般的だったが、
 今は、官僚も多様性を持っていて、例えば留学して、
 スキル身に付けてスピンアウトして、NPOを作る、など
 いくつかのモデルも登場してきた

 昔ながらの守旧派、無自覚的に組織の利益に
 どっぷり浸かっている人は、記者クラブ制度の利用価値に無自覚かもしれない
 むしろ、組織に対しての帰属意識の低い若手の官僚は、
 自分たちが何によって守られているか、十分に知っているのでは


海南島事件
 2001年4月1日、午前8時55分(中国標準時)、
 海南島付近の南シナ海上空でアメリカと中国の軍用機が空中衝突した事件
 中国側の戦闘機が墜落、パイロットが行方不明になったほか、アメリカ側の
 電子偵察機も損傷して海南島に不時着し、パイロットは中国側に身柄を拘束された。
 この事件により、一時的に米中関係の軍事的緊張が高まることとなった。

諫早湾干拓事業 [イサハヤワンカンタクジギョウ]
 有明海内の諫早湾における干拓事業
 諫早湾はガタ土が次々と堆積する湾で、集中豪雨や台風が来る地域であり
 排水不良や諫早大水害など高潮・洪水が起きやすかった。そのため、
 対策として、干拓が繰り返されてきたが、???農林水産省による国営干拓事業
 を巡る論争を呼んだ
 1952年に長崎県知事が、平地を広げることと、食糧難を解決するために
 「長崎大干拓構想」として発案した
 諫早を流れる本明川は数年に1度の頻度で氾濫し、水害に悩まされていた
 1957年には500人以上が犠牲になる諫早大水害が起こっている
 諫早市内には水害を防ぐために多数の水門が備えられており、
 見張り役が立って水門の開け閉めをしていたが、危険を伴う作業であった
 1989年より「国営諫早湾干拓事業」が着工し、諫早湾奥に潮受け堤防が
 建設された。目的は、高潮、洪水、常時排水等に対する地域の防災機能
 強化と、かんがい用水が確保された優良農地の造成
 1997年4月、潮受け堤防の水門を閉じて、干拓の工事前の漁業補償として
 総額279.2億円が支払われた
 そのとき、各漁協の漁業権は消滅または一部放棄・制限された
 2000年冬に赤潮が発生し、有明海の養殖海苔が不作となると、
 この干拓事業との関連が疑われ、2002年に漁業者らが、
 堤防の閉め切りが不漁の原因であるとして、
 工事中止を求めて佐賀地方裁判所に提訴、工事中止の仮処分申請も行った
 2004年に佐賀地方裁判所は漁業被害との因果関係を一部認め、
 工事中止の仮処分も決定されたが、2005年の福岡高等裁判所判決では
 仮処分を取り消され、工事が再開された
 潮受け堤防の締め切りから約10年後、2007年11月に完工式が行われ、
 同年12月、潮受け堤防の上に全長8.5kmの諫早湾干拓堤防道路が開通した
 水門閉鎖により潮受け堤防内側の調整池は有明海から分離され淡水化された。
 堤防の締め切りにより、高潮の被害がなくなり、防災効果が示された
 水害も減り、以前は大雨のたびに水田は水没し家屋は床下浸水していたが、
 2018年7月の豪雨では、250ミリの降雨でも、大きな被害はなかった

三鷹事件 (1949年7月15日)
 東京都北多摩郡三鷹町(現在の三鷹市)と武蔵野市にまたがる
 日本国有鉄道中央本線三鷹駅構内で起きた無人列車暴走事件
 詳細は不明で、同時期に起きた下山事件松川事件と並ぶ
 国鉄三大ミステリー事件の一つとされている。
 連合国軍占領期1949年7月15日20時23分、
 国鉄三鷹電車区から無人の電車4両を含む7両編成の電車が暴走し、
 三鷹駅の下り1番線に進入した後、60km/h程のスピードで車止めに激突し、
 そのまま車止めを突き破って脱線転覆した。
 これにより、突っ込んだ線路脇の商店街などで、
 男性6名が車両の下敷きとなり即死、負傷者も20名出る大惨事となった。
 当時、日本の国政では日本共産党議席を伸ばしており、共産党員や
 その支持者が多かった国鉄は、共産主義化を警戒するGHQによって
 レッドパージの対象となっていたため、
 複数の共産党員の国鉄職員が逮捕された。
 捜査当局は、共産革命を狙う犯行として、国鉄労働組合
 日本共産党員10人と非共産党員の元運転士、竹内景助を逮捕した。
 そのうち、共産党員1人についてはアリバイが成立したため、
 不起訴として釈放されたが、残りの共産党員9人と竹内が起訴され、
 竹内は、幾度も発言を求め、泣き叫びながら単独犯行であったことを主張した。
 1950年東京地方裁判所(鈴木忠五裁判長)は、竹内の単独犯行として
 往来危険電車転覆致死罪により無期懲役の判決を下した
 1951年東京高等裁判所(谷中董裁判長)は、控訴審で竹内についてのみ
 検察側控訴を受け入れ、書面審理だけで一審の無期懲役判決を破棄し、
 より重い死刑判決を言い渡した
 弁護人は無罪の主張とは別に、被告人の顔も見ぬまま死刑に変更することの
 非道も訴えて最高裁に上告したが、最高裁では口頭弁論が開かれないまま、
 1955年6月に死刑判決が確定した
 ところが、これが8対7の1票差であったため物議を醸し、
 以後の最高裁の死刑上告審理では口頭弁論を開くことが慣例となった
 竹内は無実を訴え続け、死刑判決後も文藝春秋誌に陰謀説を訴えるなど
 投稿をする。東京拘置所内で脳腫瘍に伴う激しい頭痛を訴えていたが、
 拘置所側は拘禁症状であるとしてこれを無視し、適切な治療等をせず、
 1967年1月に収監先の東京拘置所で脳腫瘍のため獄死した
 竹内の死後、国は遺族に国家賠償請求に基づき慰謝料を支払っている
 再審請求については、異議申立棄却に対する特別抗告が
 1968年に棄却された
 竹内は、再審請求補充書で
 「弁護士から、罪を認めても大した刑にならない、必ず近いうちに
 人民政府が樹立される、ひとりで罪を認めて他の共産党員を助ければ、
 あなたは英雄になると説得された」と主張している。また、竹内と面会した
 加賀乙彦は、竹内が「おれは弱い人間なんですね。弱いから人をすぐ
 信用してしまう。党だって労組だって、大勢でお前を全面的に信用すると
 いわれれば、すっかり嬉しくなって信用してしまった。(略)
 けっきょく、党によって死刑にされたようなもんです。」と語っていた
 と述べている

松川事件 (1949年8月17日)
 福島県日本国有鉄道東北本線で起きた列車往来妨害事件
 日本の戦後最大の冤罪事件に挙げられる
 下山事件三鷹事件と並んで大戦後の「国鉄三大ミステリー事件」の
 ひとつといわれており、容疑者が逮捕されたものの、その後の裁判で
 全員が無罪となり、真犯人の特定・逮捕には至らず、未解決事件となった
 三鷹事件から約1か月後、1949年8月17日2時9分頃、
 福島県信夫郡金谷川村(現・福島市松川町金沢)の東北本線
 松川駅-金谷川駅間を走行していた旅客列車が突如として脱線した。
 現場はカーブの入口で、先頭の蒸気機関車が脱線転覆、後続の荷物車2両、
 郵便車1両、客車2両も脱線した。
 この事故により、機関車の乗務員3人が死亡した。
 現場検証の結果、転覆地点付近の線路継ぎ目部のボルトおよびナットが
 緩められ、継ぎ目板が外されていることが確認された。
 さらにレールを枕木上に固定する犬釘も多数抜かれており、
 長さ25メートル、重さ925キロのレール1本が外され、
 ほとんどまっすぐなまま13mも移動されていた。
 周辺を捜索した結果、近くの水田の中からバールとスパナが
 それぞれ1本ずつ発見された。
 捜査当局は、当時の大量人員整理に反対した東芝松川工場労働組合
 国鉄労働組合構成員の共同謀議による犯行とみて捜査を行った。
 事件発生から24日後、元国鉄線路工の少年が傷害罪で別件逮捕され、
 松川事件についての取り調べを受けた。少年は逮捕後9日目に松川事件
 犯行を自供し、その自供に基づいて共犯者が検挙された。
 合計20名が逮捕者の自白に基づいて芋づる式に逮捕・起訴されたが、
 無実を示すアリバイなど重要な証拠が捜査機関により隠されていたことで、
 死刑判決から5回の裁判を経て逆転無罪で確定した。
 1950年12月、福島地裁による一審判決では、
 被告人20人全員が有罪(うち死刑5人)となった。
 1953年12月、仙台高裁による二審判決では、
 17人が有罪(うち死刑4人)、3人が無罪となった。
 しかし裁判が進むにつれ被告人らの無実が明らかになった。
 第一審・控訴審判決に対し、思想信条・階層を超えて多くの
 支援者が集結し、1,300名を超える「守る会」や大弁護団が結成された。
 主任弁護人であった弁護士の岡林辰雄は『赤旗』 1950年3月15日号に
 「主戦場は法廷の外」という論文を発表し、法廷ではデッチあげであることが
 毎日立証されているのに、新聞やラジオではまるで有罪が立証された
 かのような報道がなされている、ならばこちらも大衆の中へ入ることが大切だ、
 という趣旨の主張を展開した。
 この「主戦場は法廷の外」は松川裁判闘争のスローガンとなった。
 1959年8月、最高裁は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。
 1961年8月、仙台高裁での差し戻し審で被告人全員に無罪判決
 1963年9月、最高裁は検察側による再上告を棄却、
 被告人全員の無罪が確定した。
 判決当日、NHK最高裁前からテレビ中継を行い、報道特別番組
 『松川事件最高裁判決』として全国に放送した。
 無罪判決確定後に真犯人追及の捜査が継続された形跡はなく、
 1964年8月17日、汽車転覆等および同致死罪の公訴時効を迎えた。
 被告人たちは一連の刑事裁判について国家賠償請求を行い、
 1970年8月に裁判所は判決で国に賠償責任を認める判断を下した。

*無謬性の原則
 日本の政府や大企業の官僚組織で、ほとんど無意識のうちに前提と
 されているのが、「無謬(むびゅう)性の原則」である。
 「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、
 その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけない」
 という信念のこと
 たとえば、政府は財政再建に責任があるのだから、
 それが失敗したときに起きる「財政破綻後」を考えてはならない。
 というもの
 無謬:理論や判断にまちがいがないこと。※大辞林

#0006_010323_システム設計と世代間利害対立

#0006_2001年3月23日
ハイビジョン事業失敗はテレビ危機の予兆なのか


・NHKのアナログハイビジョン
 NHKのアナログハイビジョンは国際規格に採用されず、
 最終的にデジタルハイビジョンに移行し、税金が無駄に使われた
 NHKの予算は国会にある為、税金が投入されており、
 それは報道されておらず、アカウンタビリティーはどこにあるのか

・デジタル化の恩恵とは
 双方向通信でのクイズの景品、画質向上、ノイズ耐性向上が
 挙げられているが、費用対効果は妥当と言えるのか

 今後、インターネットが拡大し、誰でも気軽に、
 小型のカメラで撮影・配信が可能になったとき、
 テレビ業界は、競合が増えることになり、付加価値の競争が始まる

 デジタル化について、高精細度を強調するテレビ番組が
 放送されていたが、焦点はそこではないだろう
 ちなみに、この番組の落ちは「画質にふさわしいコンテンツが必要だ」

統治権力主導の新技術の導入
 分断統治、規制による利権拡大など
 必ず何か意図があって主導しているため、
 単純にメディアの報道を鵜呑みにせず、
 自分たちの税金が使われていることを自覚してほしい

・NHKネット参入への反発
 NHKは世界的に見ても多数の電波を独占している
 それに比べて、民法は数が少ないので、NHKを批判している
 民法がNHKのネット参入に反対する理由として、
 -税金ともいえる受信料を財源とするNHKは、公共放送であって、
  民間に比べて、業務内容の範囲が制限されるから
 -NHKは全国あまねく放送を行うユニバーサルな特殊法人であり、
  放送法はインターネットなどの通信分野の放送を想定していない
  (ちなみに、旧郵政省はNHKのネット参入には放送法の改正が
   必要としていたが、その態度を180°変えたことに対する抗議)

・民放がNHKを批判できる立場にあるのか
 民法もNHKと同じく、守られている側で、新規参入ができない現状、
 我々(ビデオニュース側)としても、民放各局に同じことを言いたい
 番組制作における費用対効果という面では、
 我々も大手メディアに負けていないつもりであるし、
 玉石混淆のネット上には、少ない費用で内容の濃い調査報道を
 している人が少なからずいるはずである

・インターネット新規参入の苦労
 記者クラブに入っていないがために、
 会見ひとつとっても出席できず、質問できず、
 ということが往々にして起こる
 ただし、逆に言えば、この逆境で修業できれば、
 民法各社での経験に勝る、知識・技術・体験が得られるだろう

・NHK、民放は貸しビル業と化すか
 将来にアセット(資産)を残せなければ、
 都内一等地にある建物しか残らないのではないか
 調査報道ができない以上、費用ばかりがかさんで立ち行かなくなる

・世代間の利害対立
 現在の上層部は、が退職金と天下り先が保証されて、
 悠々自適の老後が送れれば、会社の今後などどうでもよい、
 と考えていて、若手は乗り捨てられたものを押し付けられて、
 限られた選択肢しか残っていない、という状況になるのではないか

 日本では利害対立がない、と言われることがあるが、
 いわゆるアメリカのような階級差はないように見えるものの、
 激烈な潜在的問題として、世代間の利害対立がある
 現在の中堅は、上層部の乗り捨てを見越して、同じタイミングで、
 乗り捨てるよう、自分のスキルアップに勤しんでいる
 乗り捨てた後、海外などで戦えるよう、資格を準備している

・若手世代のプライバタイゼーション(公の喪失、利己主義)
 今の20, 30代の人は組織への帰属意識が低く、
 既得権益の理不尽による鬱屈がかなり溜まっている
 今民放が持っている既得権益が何を守るものなのか、
 彼らは敏感に感じ取っている
 自分が面白いと思わないと、やってられない、
 意味のないこと、つまらないことはやりたくない、という感覚が強い
 プライバタイゼーション、非生活主義化がかなり進んでいる
 一方で、モノ離れ、カネ離れも進んでいる。
 仮に、収入が2/3、半分になったとしても面白いことをしたい。
 と思う人が増えつつある。

 辞職を悩む人も多いが、ノウハウを蓄積して、仲間を増やして、
 ぜひ、スピンアウトして、今後来るであろうインターネットを通じた
 メディアの競争に高いクオリティで参入してほしい、と伝えている

・システムか人か
 日本の没落の原因は、
 日本の禊文化、スケープゴートにマイナスをなすりつけて排斥し、
 失敗の原因追求や分析を怠ってきたから、という論調が増えている
 つまり、システムの問題で、人が代わっても同じとする議論だが、
 しかし、システムを変えるのは人である

 システムが問題であるときこそ、人が動いてシステムを変えなければならない
 システムのここが問題だから、こう変えるべきである、私を責任ある立場に
 つけてくれ、という人間が出てこないとシステムを変えられない
 (例えば、日産 カルロス・ゴーンのような)

 日本では、システムが問題視されるべきときに、人が問題にされ、
 いよいよシステムを変えるときに、人のことが出てこない

 近代政治学、近代社会学では、既存のシステムの問題点を指摘し、
 具体的な方策を定められる人がトップに立ち、既存の人身を一新して、
 その勢いを利用して、一気にシステムを変える
 システムが自動的に変わるには、よほどの長い時間が経過するか、
 天変地異などの外部要因がなければ無理である
 民間も同じで、年功序列、派閥人事ではなくて、優秀であれば、とにかく
 登用しないと企業の存続にかかわる、という危機感が共有されつつある
 また、システム設計のできる優秀な人材が、システムの抱えている問題を
 吸収してしまうこともある
 例えば、教育現場で、優秀な先生が頑張りすぎると、そもそもシステムが
 抱えている問題が見過ごされてしまい、改善することができない

・何よりもダメな日本
 今、敗戦後55年経て、本当の意味で敗戦が訪れている
 敗戦後、目標を戦勝から経済成長へ変えただけで、
 赤信号みんなで渡れば怖くない、という意識のもと、
 まったく同じシステムで突き進んできた
 危機意識を惹起して、食い止めるアイディアを伝えていくしかないだろう
 すでに、ソフトランディングは無理だが、
 ハードランディングはできるのではないか
 (クラッシュは避けられるのではないか)
 危機感を惹起して、空気を変えられれば、、、

<書籍・映画>
なし

<所感>  2024年1月21日
 世代間の利害対立は今現在進行形で自分が感じているところで、
 20年以上前から勃発していたとは驚いた。自分がそれを感じ始めた
 のはここ数年(マル激視聴後)のことだが、ある程度、将来を見通せる
 ようになったからだと思う。20代若手でそこまで思いが至るなんて、
 自ら顧みても、とてもそんな余裕はなかったように思う。

 印象的な文言は、
 「アカウンタビリティー」「世代間利害対立」「乗り捨て」
 「システム設計」「優秀な人材のシステム課題吸収問題」

#0006_010323_メモ・補足

#0006_2001年3月23日
ハイビジョン事業失敗はテレビ危機の予兆なのか


・NHKのアナログハイビジョン
 NHKのアナログハイビジョンは国際規格に採用されず、
 最終的にデジタルハイビジョンに移行し、税金が無駄に使われた
 日本全体のIT革命の出発が遅かったが、

テレビのデジタル化が遅れたのは、これが原因と言える
アナログハイビジョン視聴のためのコンバータを
ある程度売らなければならず、アナログハイビジョン劣勢を
知りながらも、舵を切ることができなかった
結果、コンバータを生産・販売し、税金が無駄に使われた

・セルフプロモーション問題
ニュースを広告に使うのはいかがなものか
朝日の甲子園やその他スポーツの大会中継など
NHKでもアナログハイビジョンの字幕スーパーが散見された

アカウンタビリティーの所在
NHKの予算は国会にある為、
判断は国会にあるとして、逃げることができる
国会予算にも、アナログ→デジタルの移行、という項目があり、
これは、視聴に必要な機器の生産・販売をする民間企業への、
税金の投入を意味している
デジタル化への移行に税金が使われているという報道はしない

・デジタル化の恩恵とは
双方向通信の恩恵がクイズの景品では、費用対効果が薄いのでは
画質の向上が謳われているが、それに見合った番組があるのか
ノイズ耐性の向上が挙げられるが、車載テレビも今では十分ではないか

カメラ、テレビ、PCでの編集など、
ハード面でのダウンサイジングは進んでおり、
誰でも気軽に、小型のカメラで撮影・配信が可能になるだろう
これから、インターネットが拡大すると、テレビ業界は、
競合が増えることになる
そうすると、付加価値の訴求の競争が始まる

高精細度を強調するテレビ番組が放送されていたが、
焦点はそこではないだろう
そして、この番組の落ちは「画質にふさわしいコンテンツが必要だ」

・画質でなく中身で勝負すべし
どこにコストを掛けて、何を伝えたいのか
読者、視聴者は各メディアの中身をこそ注視してほしい

統治権力主導の新技術の導入
分断統治、規制による利権拡大など
必ず何か意図があっての主導となっているため、
単純にメディアの報道を鵜呑みにせず、
自分たちの税金が使われていることを自覚したほうがよい

・NHKのインターネット参入への賛否
NHK所有の電波は、地上波2波、AM2波、FM1波、
BS6波、その他ボイスオブジャパン(?)など、
世界的に見ても多数の電波を独占している
それに比べて、民法は数が少ないので、NHKを批判している
民法がNHKのネット参入に反対する理由として、
-税金ともいえる受信料を財源とするNHKは、公共放送であって、
 民間に比べて、業務内容の範囲が制限されるから
-NHKは全国あまねく放送を行うユニバーサルな特殊法人であり、
 放送法はインターネットなどの通信分野の放送を想定していない
 (ちなみに、旧郵政省はNHKのネット参入には放送法の改正が必要
  としていたが、その態度を180°変えたことに対する抗議)

民法がNHKを批判できる立場にあるのか
民法もNHKほどではないが、守られているではないか
新規参入ができない現状、我々(ビデオニュース側)としても
民法各局に同じことを言いたい
市場原理の自由な競争ができていない
番組制作における費用対効果という面では、
我々も大手メディアに負けていないつもりだし、
玉石混淆のネット上には、少ない費用で内容の濃い調査報道を
している人が少なからずいるはずである

NHK公認という認識の懸念
同じインターネットでも、NHK公認となると、
オーソライズ(正当と認めること)される可能性がある
同じく、民法のネット参入

・メディア関係の若手人材
メディア総研のイベントにて、いろいろな放送局の若手と接した
今の20, 30代の人は組織への帰属意識が低い
我々の意見を素直に受け入れる傾向にあった
ただし、組織人として、あるいは、日々忙しいため、
その思いを仕事に反映することができていない
その鬱屈はかなり溜まっているように感じている
辞職を悩む人も多いが、ノウハウを蓄積して、仲間を増やして、
ぜひ、スピンアウトして、今後来るであろうインターネットを通じた
メディアの競争に高いクオリティで参入してほしい
と伝えている
民法が持っている既得権益が何を守るものなのか、
若手は敏感に感じ取るようになっていて、
彼ら自身がやっていて面白いと思わないと、やってられない、
という感覚が強い
プライバタイゼーション、非生活主義化がかなり進んでいる
意味のないこと、つまらないことはやりたくない、
一方で、モノ離れ、カネ離れも進んでいる。
仮に、収入が2/3、半分になったとしても面白いことをしたい。
と思う人が増えつつある。

・テレビ業界の高収入
20代後半から、他の業界との差が開く
アメリカでは実力分の給料であったが、
日本では、実力分以上もらっている人が多い
インターネットでは、実力分も儲からない可能性がある

・インターネット新規参入の苦労
記者クラブに入っていないがために、
会見ひとつとっても出席できず、質問できず、
ということが往々にして起こる
ただし、逆に言えば、この逆境で修業できれば、
民法各社での経験に勝る、知識・技術・体験が得られるだろう

記者クラブ制度の弊害
利権保護が機能しているため、記者の実力が下がっている
今、制度を廃止すれば、調査報道ができる記者は
圧倒的に不足するだろう

・テクノロジー発展は追い風
国民国家の国民、自分の頭でものを考える人々にとって、
インターネットのようなテクノロジーの発展が追い風になるだろう

田中康夫長野県知事への逆風
脱ダム宣言に伴う人事異動は妥当である
関係者へのヒアリングでは、田中知事反対派は少ないように感じる
にも関わらず、全国メディアが反脱ダムを派手に報道するのはなぜか
メディアが逆風を煽っている可能性が高い
今のところ、中央での逆風報道と長野の田中支持でギャップがあるが、
中央→長野への煽り報道が逆輸入されることが懸念される

 

・土木建設業の失業者対策
市場では敗者は退室すべき、
土木・建設・流通・金融など(非製造業)について議論される
土建業で市場の敗者が出た場合、その失業者の受け皿がない
特に、製造業80万人の失業者を、
土建業100万人の雇用で吸収した過去がある

・世代間の利害対立
現在の上層部、年長者、経営層は、
自分たちが退職金をもらって、天下り先が保証されていて、
悠々自適の老後が送れれば、会社の今後などどうでもよい、
と考えているだろう
若手は乗り捨てられたものを引き取って、限られた選択肢しかない、
という状況になるのではないか
日本では利害対立がない、と言われることがあるが、
いわゆるアメリカのような階級差はないように見えるものの、
激烈な潜在的問題として、世代間の利害対立が起こっている

・経営者の乗り捨ては確信犯か能力不足か
某有名出版社では、
若手が中堅当人(50代)から直接
「この会社が15~20年後、どうなっていようと知ったこっちゃない」
と聞いたという話がある
現在の中堅は、上の人間が会社の乗り捨てをすることを見越して、
自分のスキルアップに勤しんでいる、上が乗り捨てた時には、
自分たちも一緒に乗り捨てて、海外などで戦えるよう、資格を準備しておく

 

・NHK、民放は貸しビル業と化すか
将来にアセット(資産)を残せなければ、
都内一等地にある建物しか残らないのではないか
調査報道ができない以上、費用ばかりがかさんで立ち行かなくなる

・海外メディアの日本没落説
えひめ丸事故の際の森首相ゴルフの記事が海外で出た
経済的には知られていたが、政治的にも報道され始めた
日本の没落の原因は、
日本の禊文化、スケープゴートにマイナスをなすりつけて排斥し、
失敗の原因追求や分析を怠ってきたから、という論調が増えている
つまり、システムの問題だ、人が代わっても変わらないとする議論だが、
しかし、今こそ、これは人の問題だと言えるではないか

ニューズウィーク最新号、MITのリチャードサミュエルズの記事
「指導者不在はシステムのせいか」

システムを変えるのは人である、
近代社会では、システム設計をするのは人で、
自然科学的に任せていては、時代の変化に追いつかない
責任をもって、リスクを負って変える人がいないと変わらない
例えば、日産 カルロス・ゴーンのような

責任を持ってシステム設計し、リスクを負ってでも進める人がいない
または、そういう人材がいるとするなら、その立場につければよい
いろんなところに人材がいることは承知しているが、そういう立場にない

システムが問題であるときほど、人が動いてシステムを変えなければならない
システムのここが問題だから、こう変えるべきである、私を責任ある立場に
つけてくれ、という人間が出てこないとシステムを変えられない

日本では、システムが問題にされるべきときに、人が問題にされ、
いよいよシステムを変えるときに、人のことが出てこない

・全国の児童相談所に例外なく嘱託の精神科医を置く
確かに、心に問題のある児童に優秀な精神科医をつけることは大事だが、
優秀な人材が人を救うことに集中すると、システムが抱えている問題が
見過ごされてしまう可能性がある。
教育も、優秀な先生が頑張りすぎると、そもそもシステムが抱えている問題を
優秀な人が吸収してしまう

・システムの問題か、人の問題か
近代政治学、近代社会学では、既存のシステムの問題点を指摘し、
具体的な方策を定められる人がトップに立ち、既存の人身を一新して、
その勢いを利用して、一気にシステムを変える
システムが自動的に変わる場合は、よほどの長い時間が経過するか、
天変地異などの外部要因がなければ無理である
民間も同じで、年功序列、派閥人事ではなくて、優秀であれば、とにかく
登用しないと企業の存続にかかわる、という危機感が共有されつつある

赤信号みんなで渡れば怖くない
これは、引かれないという前提があるため
本当に引かれる、という危機感が欠けている
危機意識を惹起して、回避する、食い止めるアイディアを伝えるしかない
細川政権では、情報公開法、NPO法と公約に掲げていたが、できなかった
ちなみに、NPO法は後にできたが、税制優遇措置はない

・何よりもダメな日本
今、敗戦後55年経て、
ようやく敗戦が訪れているのではないか
敗戦したにもかかわらず、システムを何も変えないで、
目標を戦勝から経済成長へ変えただけ
まったく同じシステムで突き進んできた
本来、大戦直後に発生するはずだった反省が、
アメリカのショックアブソーバーのおかげで、遅れてやってきている

・システム破壊の対処法
ソフトランディングとハードランディング
すでに、ソフトランディングは無理だが、
ハードランディングはできるのではないか
(クラッシュは避けられるのではないか)
危機感を惹起して、空気を変えられれば、、、

*アナログ放送とデジタル放送
アナログ放送とは、アナログ信号の伝達を利用したテレビ放送の方式
そもそも、アナログとは情報を「連続した量」として扱うことであり、
アナログ放送では電波を波のまま送信します。

日本ではアナログ放送は1953年にスタートし、2011年に終了しました。
かつて、アナログ放送で利用していたのはVHFとUHFという電波です。
VHFでは、90~108MHzと、170~222MHzの周波数帯を使っていました。
一方、UHFでは、470MHz~770MHzの周波数帯を使っていました。
アナログ放送では、距離が長くなるにつれ、品質が劣化する特徴があります。
また、ノイズの影響を受けやすく、簡単に複製が作れるため著作権の保護が
難しいというデメリットがあります。ただし、電波をそのまま送るため遅延がなく、
チャンネルの切り替えが早いです。

デジタル放送とは、地上波では2011年から開始した、新しいタイプの方式
0と1とで構成されるデジタル信号の伝達を利用したテレビ放送の方式
アナログ波をデジタル信号に変換する手順が入るため、受信の遅延が
発生しやすく、チャンネルの切り替えが遅くなることがあります
しかし、ノイズに強く、エラー検出や訂正機能を使えば、劣化なく
元の情報に復元できる強みがあります。
日本では、2003年に関東、近畿、中京でデジタル放送がスタートし、
2011年に一部地域を除いて完全にデジタル放送に切り替わりました。

アナログ放送が終わった背景には、携帯電話の爆発的な
普及によって電波の周波数帯が飽和状態になったことがあります。
データ圧縮ができるデジタル放送の利点を活用して、
UHFの一部周波数帯にテレビ放送の電波を集中させ、
空いた部分を通信などが利用できるよう開放することにしたのです。
もう1つの理由は、著作権の保護です。
アナログ情報はコピーが容易なので著作権を保護するのが難しく、
著作者の利益を守ることができません。
デジタル放送なら、複製を作れないようブロックすることが可能です。

*地上波放送と衛星放送
テレビ放送には地上波と衛星の二通りがあります。

地上波放送は、放送局と家庭の間に中継所を設けて電波を送っています。
地上の施設を使って電波を送るので、地上波と言われます。
衛星放送は、赤道上空36,000kmにある人工衛星を使って、
家庭に直接電波を送ります。衛星放送は、山など障害物が多い地域にも
電波を送ることができます。
地上の施設(電波塔)から電波を送る地上波放送に比べて、
はるか上空にある人工衛星から電波を送る衛星放送は、
以下のような特徴があります。
効率よく広域に放送ができる
大容量の情報伝達力がある
災害時に強い
電波が建物や地形の影響で乱れることがない
このような特徴を生かし、衛星放送サービスが展開されています。

*BS/CS放送

BS(Broadcasting Satellites)放送は、放送衛星を利用した放送で、
一般的にBS放送と呼ばれています。

BS放送は一般家庭で視聴されることを目的とした放送です。
衛星は東経110度に打ち上げられたものが使用されています。
視聴には、BSデジタル放送を受信するためのアンテナが必要です。
衛星は南西方向にあり、晴天時の午後2時~3時に太陽が見通せる場所に
パラボラアンテナを設置します。アンテナの方向に障害物がある場合は
受信することができません。
集合住宅の場合は、共同アンテナが設置されていれば視聴できます。

共同アンテナがない場合は、自分の部屋のベランダ等に設置する必要があります。

障害物がある場合は別のサービスでの視聴も可能です。
(「フレッツ・テレビ」や「ケーブルテレビ」や「IP放送」等)

CS(Communication Satellites)放送は、通信衛星を利用した放送で、
一般的にCS放送と呼ばれています。
CSは特定の受信者(主に企業や事業者。事業者は、ケーブルテレビや
集合住宅など)の利用を想定していた放送です。
通信事業を目的とした通信衛星は1989年に放送法が改正となり、
一般の家庭でも視聴することが可能となりました。
通信衛星放送衛星に比べて電波の出力が小さく、BS放送より
大きなアンテナが必要でしたが、現在は小型のアンテナも開発されています。

*ハイビジョン(Hi-Vision)
日本における高精細度テレビジョン放送
(High Definition television / HDTV)の愛称である。
電気機械器具等を対象として、一般財団法人NHKエンジニアリングシステムが
商標登録している。
日本では2種類の放送規格がある。(2016年現在)
衛星放送(BS/110度CS)のデジタルハイビジョン (ISDB-S) と、
地上デジタルハイビジョン (ISDB-T) である。
なお、BSアナログハイビジョン (MUSE) は、2007年9月30日に終了した。

*アナログハイビジョン (1982年5月~2007年9月)
1982年5月に、世界初のハイビジョン制作番組となる「日本の美」と
HDTVのためのいろいろなイメージ」の2番組を制作。
この年の大晦日には「NHK紅白歌合戦」を初めてハイビジョン収録。
1984年には、デジタル技術を用いたMUSE方式が開発され、
これを用いたBS放送が1989年から実験放送として開始。
音楽番組等に少数ながらも機材が投入されていった。
更に1994年からは実用化試験放送が開始された。
また、MUSE方式を扱いハイビジョン画質に対応した家庭向けのビデオ機器
(民生品)として、ハイビジョンLDが市販化された。
尚、実現はしなかったもののMUSEによる有料放送も計画されていた。
その後、1996年のアトランタオリンピック開催時期に跨り、
普及が図られたが、2000年までに受像機累計出荷195万台に留まった。

NHKは自ら開発したハイビジョンとMUSEHDTVの世界統一規格に
することを目指し、「高品位テレビ」の英訳として"High Definition Television"
という言葉を使い、欧米で精力的な標準化活動を続けた。

MUSE方式で放映されたハイビジョン放送を視聴ないしは録画するには、
受信側でMUSEデコーダ、もしくはM-Nコンバーターを準備する必要がある。
ハイビジョン画質をそのまま視聴するには、BSアナログチューナーと
MUSEデコーダの両方が内蔵された「ハイビジョンテレビ(主にブラウン管)」が
あればBSアンテナを接続するのみで視聴できる。
しかしこのハイビジョンテレビは非常に高価であった。
(市販化直後の1989年で100万円台、末期の1999年で20 - 40万円台)
1992年ごろ販売した三洋電機の「帝王」は、推定8万台の売り上げとされている。
従来のテレビやビデオで視聴する場合、BSアナログチューナーに
「M-Nコンバータ」あるいは「M-Nデコーダ」が必要とされた。
ハイビジョンテレビによってはM-Nコンバーターを内蔵せず、
録画の際には別途M-Nコンバーターが必要な機種もあった。

MUSEデコーダー」・「M-Nコンバーター」は「BSデジタルチューナー」の
市販化に伴い1999年から2000年にかけて各メーカーで生産が打ち切られた。
その後、アナログハイビジョン放送の終了に伴い必然性は大きく薄れているが、
数少ないハイビジョンLDの再生にあたってはMUSEデコーダが必要となる。

*アナログハイビジョンの終焉
NHKはハイビジョンを世界の統一規格にすることを目指し、
欧米で精力的な標準化活動を続けたが、政治的その他様々な理由から、
日米欧はそれぞれ異なる方式でHDTV放送を行うことになった。
またアメリカではHDTVの開発をデジタル放送方式で行うことになり、
欧州もこれに追従したため、日本でも放送のデジタル化が推進されることとなる
このため、HDTVアナログ放送であったBSハイビジョン放送は、
使用中の放送衛星であるBSAT-1の設計寿命が尽きる2007年9月で終了した。

放送リスト(#0001-#0005)

■#0005_2001年3月16日
経世会が政界から消えることは何をいみしているのか
司会:宮台真司神保哲生
ゲスト:なし

角福戦争の怨念
 森首相は、今まで経世会に言われるがまま、牛耳られてきた
 今回も、多数派工作でいいように落とされることになり、
 それを拒否したのではないか
 強力な後ろ盾により、お世話になった部分もあるが、
 後ろからいいように操られて、何かあれば首を挿げ替える
 これまでの恨みが清和会、森派に溜まっていたのではないか

・ボス交政治の賛否
 これまで、料亭でのボス交政治で、
 無用なトラブルを最小限に抑え、全てを丸く治めてきた
 それができなくなって、この国の政治がダメになった
 という主張は半分真実ではないか
 今では、ボス交ができる資質の持ち主がおらず、
 料亭で決定できる事柄もほとんどなくなっている
 最近では、料亭の参加当事者によって、
 メディアへ情報が流されることもある
 これは、利害関係が複雑になり、
 敵がわかりにくくなったからではないか
 抜け駆けにあって不利益を被るという不安から、
 情報をリークし、先に仕掛けて優位に立とうとしている

・ボス交廃止のリスク
 経世会的なるものを廃止した場合、
 今まで水面下で治まっていた問題が表面化して、肥大化する
 その一時しのぎとして、杜撰な法律が濫立して、
 実害を及ぼす可能性が高まる
 特に短絡的で安直な解決策を主張するパフォーマンスに
 (タカ派のような言動)に注目が集まってしまう

・騙されて懲りる必要性
 1度、人気取りの政治家が
 票を集める時代を経由する必要がある
 今までは、政治家がパフォーマンスさえ
 できない状態で、見えないところで全てが決まっていた
 なぜ、誰が、どういう理由でその発言をしているのか
 一旦、パフォーマンスを見て、その後の実効性を
 各個人が見極められるようになる必要がある
 (騙されて学習する必要がある)
 しかし、騙されて負う傷が深いと、
 簡単に回復できなくなるリスクもある
 そのバランスは非常に難しい

・戦後戦中体制の弊害
 近頃、40年体制への焦点がかなりフォーカスされてきた
 病巣局在論、森が悪いから、などという単純な問題ではない

 打って一丸となってものごとにあたる
 空気に支配されて、和を乱さないようにみんな頑張る
 突拍子もない理念や、和を乱すものはみんなで打って潰す
 失敗したときには、誰が責任を負っているのかわからない
 みんながその空気に流されてやったことになる
 スケープゴートに全ての穢れを付与して、内向きに謝罪させ、
 留飲を下げて、感情的な回復を図る
 他者に対する感受性が極めて乏しく、軍事、外交においては
 戦略的な思考ができず、たえず長中期的な思考に流されている

 これらの体制は場合によっては、
 日本を統一し、ある方向へ導くことに資するが、
 今となっては、これを変える必要がある
 病巣局在論で、森→小泉で良くなる、という期待は良くない

・人材待望論
 多くの場合、良い人材を待望するか、
 良いシステムを待望するか、二者択一となる
 今、人材がいないとすれば、人材に頼らない
 根本的なシステムを考える良いチャンス
 システム構築には知恵が必要なため、
 英知の集まるシステムを考えなければならない
 政策秘書シンクタンクオンブズマン
 プロフェッショナルリサーチャーが必要となるだろう
 さらに、公正な競争を阻害する記者クラブや再販、
 宅配制度などをどうするか、という課題もある

記者クラブ制度の弊害
 記者クラブ制度の内側で記者会見をしても、
 フリーランス、雑誌他、独立系メディアは入れない
 また、クラブ内での利権によっては、発信者が
 伝えたいことを正しく報道しない可能性すらある

・審議会のアリバイ工作と叙勲
 公共事業など多数可決で、ほぼ決定にも関わらず、
 反対派を少数参加させ、議論したアリバイを作る
 審議会は2回出ると叙勲、それが反対少数の
 アリバイ工作員インセンティブになっているという
 反対意見を言い過ぎると勲章を逃す、と言われて迎合する
 合理的な理念で反対する人と勲章欲しさのアリバイ工作員
 両者を見分けることは難しい
 審議会を過大評価してはいけない

・伝家の宝刀と自主規制
 メディア、教育関連の法案にリスクの高いものが多い
 (盗聴法、個人情報保護法、青少年有害環境基本法など)
 時の統治権力を守るために、有効に使える建付けになっていて、
 それを変える強い動機づけが、起こりにくい法律
 それが悪法であることを報じる行為自体がその法律で規制される、
 あるいは、それを知る術が失われるような法律

 その法律が一番パワフルに効果を発揮するのは、
 伝家の宝刀は抜かず、自主規制を促す状態
 盗聴法も事実上運用されていない。

・法案修正、オールオアナッシングの交渉
 法律では、細部に見える文言でも、本質的なディテールがある
 その文言の有無で、巨大な利権の移動が生じる
 同じ名前の法案でも、文言を少し変えるだけで
 中身の違った、リスクの低い法律にできる
 全面反対、法案否決の姿勢では変えることは難しい
 本質的な文言を少し修正して、リスクを低減する提案が有効
 議員へのロビーイング活動を通して説得すれば、伝わる人には伝わる
 議員にはチェック機構は比較的に受け入れられやすい
 官僚は、自らの判断が正しいという前提がある為、受け入れられにくい

・盗聴法問題
 公明党法務省刑事局長に対して、
 TBSが間違った報道をした、と追及した
 法務省はTBSへの抗議文を作成し、記者クラブへ回した
 結果、日テレ他が「法務省がTBSに抗議」と報道し、
 法務省の主張を報道した。
 当時、TBSの報道制作局長が痴漢で逮捕されていたこともあり、
 釈明報道ができなかった。
 TBSの番組の論点は、盗聴後の報告義務についてで、
 アメリカでは、犯罪関連通話があったかどうか、
 令状1件1件について報告の義務がある
 日本では、個別の令状については報告義務がなく、
 全体の件数と犯罪関連通話の件数を報告すればよい
 これでは、個々の案件について、その盗聴が妥当だったかを
 検証する術がないため、盗聴し放題である

・情報公開法の適応除外
 警察は適応除外になっていて、その活動内容をチェックできない
 中途半端な法律はあるのとないのと、どちらが良いのか
 なければ作れ、という活動が盛り上がるが、
 1度成立した骨抜きの法律を改正することは難しい
 (NPO法や情報公開法など)
 「経世会的なるもの」「ボス交」「料亭政治」
 「人材待望論」「病巣局在論」
 「伝家の宝刀」「自主規制」「実効性」

<書籍・映画>
 なし

<補足>
経世会
*清和会
角福戦争
*田中金脈問題 (1974年)
ロッキード事件 (1976年)
*脱ダム宣言 (2001年2月)
*ボス交
55年体制 (1955年)
*YKK (1991年)
破壊活動防止法 (1952年7月施行)


■#0004_2001年3月9日
作る会の教科書から考える日本の歴史観
司会:宮台真司神保哲生
ゲスト:なし

歴史教育の在り方
 現在は近代史まで学ぶ人が多く、
 思想・民族・利害など複雑に入り組んでいるため、
 多元的、並行的に価値観を示すやり方がふさわしい
 (ある立場から見るとこう、別の立場から見るとこう、
 といったような教育)
 冷戦時の資本主義、自由主義共産主義社会主義
 のような単純な二項図式は終わった

・公の価値観、2つの伝統
 -旧枢軸国側の思想として、
  崇高なものと一体化して人間は良きものになれる
  国とは、まさに一体化すべき崇高なもの
 -革命を経た"連合国"側の思想として、
  自分が自分で培ったものに誇りを持つ
  国とは、自由を支えるための最低限の公の器である
  血で贖われた公共財やルールが今の自由を支えている
  それを維持するために公に貢献する
 日本では、責任と自由の順番で語られることが多い
 滅私奉公、つまり、滅私が先立つ日本的な発想は
 近代的思考に反している
 近代国家では自由が先で、逆転することはあり得ない

・日本人の国民意識
 戦争の動機づけとして、
 アメリカでは、自由・平等・尊厳のため、
 それを代表する合衆国憲法を守るために戦う、と答える
 日本ではどうか?
 国家といった大きな人為的共同体ではなく、
 故郷や家族のような自然共同体のため、と考えるのが普通

・日本のねじれ
 天皇制度の解釈は、時代ごとに変化した
 戦時中は、打って一丸となるために
 戦後は、革命の動機づけに
 現代では、公の象徴としてその制度を継続しているが、
 このねじれ故に、天皇を掲げての国民統一は難しい

・敗戦の失敗学
 日本は"何よりもだめな日本"を経由せず、
 単に謝罪だけし、反省、分析、検証をしていない
 「悪ぅございました」ではなく、
 どこがだめだったか考える材料を提示できなければ、
 教科書として非常に価値の低いものになる
 アメリカではベトナム戦争の失敗を研究して
 失敗学として発展させた

・最大多数の最小不幸
 何が幸せか、一概に言えないので
 万人が試行錯誤して追求すべし
 しかし、人権侵害のような不幸は法律で担保する

・幸福モデルの提示要求
 なぜか日本では、お上に何が幸せのモデルか示して下さい、
 と問うて、それを法的に裏付けて下さい、という
 何かにつけて、モデルの提示要求をして、
 そのモデル見てかれでないと邁進できない
 日本では7割の大学生が将来の志望を持たない
 良い学校、良い会社、良い人生という教育が浸透していて、
 何が自分の幸せか、試行錯誤できない

・経済停滞による空洞化
 経済の成長が鈍化した今、
 経済的な目標を失った人々が空洞化し、アノミーに陥る
 ここには夢はない、どこに夢を抱くのか?
 誇りや日本独自の文化など、回帰主義的な、奇妙な
 価値観に移行して、隠れていた問題が表れてきた

政教分離の解釈
 1972年の内閣法制局長官の曲解により、
 宗教団体の政治活動は課税権、警察権を
 行使していなければ問題ない、としている
 憲法20条では宗教団体は政治の権力を行使してはならない、
 とあり、明らかに違憲である
 「無料乗り」「コントリビューション」
 「最大多数の最小不幸」「血で贖われた公共財」
 「モデル提示要求」「レミング」「失敗学」

<書籍・映画>
きけ わだつみのこえ / 東京大学協同組合出版部編集 (1949)

<補足>
新しい歴史教科書をつくる会
*小林 よしのり (1953年 -)
1940年体制
レミング
アノミー
二・二六事件 (1936年2月26日~29日)
きけ わだつみのこえ (1949年出版)


■#0003_2001年3月2日
謝罪の異文化摩擦
司会:宮台真司神保哲生
ゲスト:なし

・日米謝罪文化の違い
 日本は責任を負わず、感情的回復のために謝罪する
 その謝罪は共同体内部へ向けた情緒的な表明であり、
 スケープゴートとしての側面を持つ
 アメリカは責任の所在を明らかにし、
 現状回復・賠償の意味合いを含めて謝罪する
 謝罪によって再発のリスクが上がる場合はしない

・イエロージャーナリズムの弊害
 えひめ丸沈没事故を受けて、感情的な報道で
 アメリカに謝罪要求をしても再発防止へつながらない

・証人喚問の問題点
 刑事訴追のおそれから証言拒否が連発し、
 事実解明できず、成果も何もない
 スケープゴートをバッシングするイベント、
 お祭り的な意味しかなさない
 アメリカ(NTSB法)のような免責制度を導入すべき
 「面従腹背」「イエロージャーナリズム」
 「第三項排除」「スケープゴート」「禊」
 「対内道徳・対外道徳(二重道徳)」

<書籍・映画>
 なし

<補足>
えひめ丸沈没事故 (2001年2月10日)
*NTSB法:アメリカの事故調査制度 (1974年法制定)
KSD事件 (2000年11月逮捕)
あんしん財団(旧称KSD)
薬害エイズ事件 (1996年逮捕、1985年加熱製剤認可)
山一證券破綻 (1997年11月)
*対内道徳、対外道徳
*修身斉家治国平天下 [シュウシンセイカチコクヘイテンカ]
リクルート事件 (1988年発覚、報道)
住宅金融専門会社
*二信組事件 (1995年逮捕)
*イエロージャーナリズム
*東電OL殺人事件 (1997年3月)
*ルネ・ジラール (1923-2015)
*第三項排除


■#0002_2001年2月23日
自業自得のメディア規制
司会:宮台真司神保哲生
ゲスト:なし

・限定効果論
 メディアの悪影響は受容環境で左右される
 何を見たかでなく、誰と見たかが大きい

・規制による利権
 規制をすると民間が行政に迎合する
 メディアが規制されるほど、第四の権力は機能しなくなる

・チリングエフェクトと自主規制
 椿発言を発端に、ビビりによる自主規制がはびこっている

・懲罰的賠償請求の必要性
 対個人の名誉棄損が民事敗訴での100万円では少ない
 被告の規模や棄損行為の収益を加味して金額を決めないと
 抑止効果が期待できない

記者クラブ制度の問題点
 クラブ内でリークされる警察側の情報が発表報道される
 権力側から発信された情報は報道しないことにもリスクを伴う
 そのうえ、クラブへの新規参入はできない
 「チリングエフェクト、ビビり効果」「書かなきゃ損」
 「得体の知れないもののフレームアップ」
 「限定効果論、受容環境」「ゾーニング

<書籍・映画>
華氏451度 / レイ・ブラッドベリ (1953)
華氏451度 / フランソワ・トリュフォー (1966)

<補足>
*青少年有害社会環境対策基本法案 (2000年)
*強力効果論
*限定効果論
売春防止法 (1958年4月罰則施行)
*赤線 (1946年~1958年)
CR機 (1990年導入営業開始)
椿事件、椿発言 (1993年)
オンブズマン
ロス疑惑 (1981~1982年)
*鉄の三角形
ルーシー・ブラックマン事件 (2000年7月)
再販制度 (1953年、独占禁止法改正)
ウォーターゲート事件 (1972年)


■#0001_2001年2月6日
前代未聞のインターネット・トークショー始まる
司会:宮台真司神保哲生
ゲスト:民主党幹事長 菅直人(TEL出演)

・何よりもだめな日本
 森首相に全てのマイナス要素をくっつけて退陣させる

・英知結集システムの必要性
 海外ではシンクタンクオンブズマンがあり、
 政治家がバカなことを公言できない仕組みがある

・マスメディアの問題点
 調査報道をせず、官報よろしく垂れ流す
 公正な情報をもとにした自由競争ができない
 「官報よろしく垂れ流す」「手のひら返し」
 「英知結集」「既得権益

<書籍・映画>
*何よりだめなドイツ / エンツェンスベルガー (1968)
*「空気」の研究 / 山本七平 (1977)

<補足>
*三菱リコール隠し事件 (2000年12月)
雪印集団食中毒事件 (2000年6~7月)
東海村JCO臨界事故 (1999年9月30日)
加藤の乱 (2000年11月)
第三の道 社民政権
マキャベリズム
しんぶん赤旗

#0005_010316_ボス交の功罪と廃止のリスク

#0005_2001年3月16日
経世会が政界から消えることは何をいみしているのか


角福戦争の怨念
 小泉が総裁選出馬を表明し、マスコミもそれに便乗している節がある
 メディアが野中より小泉の方がありそうだ、と感じたか?
 ただ、森首相はおり方と、次期候補の決定方法は握っている
 経世会は次の候補者として担ぐ人がいない
 そんな中、総裁選前倒し論が出た
 森首相としては、今まで経世会にいいように牛耳られたまま、
 多数派工作で落とされることを拒否したのではないか
 自民党は政権維持互助会でしかなく、
 田中角栄が表舞台から降りて、大平、福田、中曽根を
 多数派工作で総理に据えて、権力構造を維持してきた
 しかし、ある種お世話になった部分もあるが、
 後ろからいいように操られて、何かあれば首を挿げ替えられる
 という恨みが清和会、森派に溜まっていたのではないか

・政界(永田町の論理)について
 視聴者の中には、政界の話がちんぷんかんぷんで、
 経世会、清和会などの派閥の名前を言われてもわからないかもしれない
 そもそも自民党内でなぜ派閥が分かれているのか、
 という議論も当然考えられるが、実際にその派閥の論理
 (永田町の論理)が跋扈している以上、避けては通れないだろう

・人材待望論と病巣局在論
 多くの場合、良い人材を待望するか、
 良いシステムを待望するか、二者択一となる
 今、人材がいないとすれば、長い目で見て良いのではないか
 人材に頼らない根本的なシステムを考える良いチャンス
 システム構築には知恵が必要なため、
 市民派の議員に英知が集まるようなシステムを考えなければならない
 それがないと、官僚役人の知恵に劣る政策、法案となる可能性がある
 政策秘書、政策シンクタンク、プロフェッショナルリサーチャーや
 オンブズマン制度が必要となるだろう
 さらには、公正な競争を阻害している記者クラブ制度や再販制度
 宅配制度などをどうするか、という課題もある
 
 佐藤栄作田中角栄、ともに利益誘導型の政治を進めてきた
 誰が主導権を握るのか、ネットワークの質が違ったとしても
 覇権がどこにあったかという違いだけで構造は同じ
 今後、違った新しい政治ができるのか、が問われている
 森が代わったからと言って、何かが変わるのか

・ボス交政治の賛否
 早坂茂三(田中角栄の元秘書)曰く、
 「料亭でのボス交政治は良かった。それがいろいろなシナリオを作って
 全てを丸く治めて、無用なトラブルを最小限に食い止めて、様々な決定が
 できた。料亭政治ができなくなって、この国の政治がダメになった」
 これは半分真実ではないか
 今では、そういうボス交ができる資質の持ち主がおらず、
 料亭政治のような場で決定できる事柄もほとんどなくなっている
 今のところ、ボス交に代わる制度はなく、
 乱闘国会やパフォーマンスに懲りる、ということを経由しないと
 新たな制度は確立しない

経世会的なるもの(裏取引)の廃止に伴うリスク
 今まで水面下で治まっていた問題が表面化して、肥大化する
 その一時しのぎとして、杜撰な(穴のある)法律が濫立して、
 実害を及ぼす可能性が高まる
 特に短絡的で安直な解決策を主張するパフォーマンス
 (タカ派のような言動)に注目が集まってしまう
 しかし、
 政治家がパフォーマンスで票を集める時代を経由する必要がある
 今までは、政治家がパフォーマンスさえできない状態で、
 見えないところで全てが決まっていた
 我々はパフォーマンスの意味が理解できていない
 なぜ、誰が、どういう理由でそういうことを言っているのか
 一旦、パフォーマンスを見て、その後の実効性を各個人が
 見極められるようになる必要がある
 (騙されて学習する必要がある)
 しかし、騙されて負う傷が深いと、簡単に回復できなくなるリスクもある
 そのバランスは非常に難しい

・料亭政治ができなくなった理由
 最近では、密室政治のはずが、参加当事者の口から
 メディアへ情報が漏れてしまっている(自ら喋っている)
 料亭政治ができなくなったのは口が軽くなったからでは?
 これは、関係の複雑性が増して、
 敵が明確ではなくなったからではないか
 抜け駆けにあって不利益を被るという不安から、
 情報戦において、先に仕掛けて優位に立つ、
 という行動をとっている
 ある出来事が起こると、これが一体誰を利するのか、
 ということが以前ほど単純ではなくなってきている
 55年体制、2大政党の時代は、縦割りで敵味方がはっきりしていた
 YKKのような横を横断するものが登場して、わかりにくくなった

・戦後戦中体制の弊害
 これまで40年体制の弊害は様々な議論がなされてきたが、
 近頃になって、その焦点がかなりフォーカスされてきた
 つまり、病巣局在論、森が悪いから、などという単純な問題ではない

 打って一丸となってものごとにあたる
 空気に支配されて、和を乱さないようにみんな頑張る
 突拍子もない理念や、和を乱すものはみんなで出る杭を打って潰す
 物事が失敗したときには、誰が責任を負っているのかわからない
 みんながその空気に流されてやったことになる
 スケープゴートに全ての穢れをなすりつけて内向きに謝罪させ、
 留飲を下げて、感情的な回復を図る
 他者に対する感受性が極めて乏しく、軍事、外交においては
 戦略的な思考ができず、たえず長中期的な思考に流されている

 これらの体制は場合によっては、
 日本を打って一丸とし、ある方向へ導くことに資する、
 役立ってきたが、今ではまずい方向へいってしまっている
 これを変える必要がある、ということを確認するべきで、
 病巣局在論で、森が小泉に代わればよくなる、といった期待は良くない

記者クラブ制度の弊害
 NGO団体、PARC(アジア太平洋資料センター)の記者会見が
 司法クラブで行われ、神保さんは取材を申し込んだが、断られた
 司法クラブは裁判所、検察、法務省記者クラブで、
 クラブに所属していないメディアは入ることができない
 市民側も、記者クラブで会見をやるようではダメ
 場所が無料だからといって記者クラブを利用してしまうと、
 既存のクラブのメディアしか参加せず、そのクラブ内での
 利権によっては伝えたいことが正しく報道されない可能性がある
 NGOの方で、公に開かれた記者会見をしたい場合は、
 すぐ横にある弁護士会館を利用してほしい、そこで会見すれば、
 違うメディア、フリーランス、雑誌、独立系も参加できる
 発信者側に知恵足りなかったために、我々の知る機会が失われた
 そういう知恵をみんなで共有することが必要である

・伝家の宝刀と自主規制
 メディア、教育関連の法案にリスクの高いものが多い
 (盗聴法、個人情報保護法、青少年有害環境基本法など)
 メディアとの利害関係という構造上、
 時の統治権力を守るために、有効に使える建付けになっていて、
 それを変える強い動機づけが、未来永劫起こりにくい法律

 それが悪法であることを報じる行為自体がその法律で規制される、
 あるいは、それを知る術が失われるような法律

 違法と知りつつ、その行為を実行し、逮捕されることが
 悪法廃絶、問題提起の一番の近道かもしれない
 その法律が一番パワフルに効果を発揮するのは、
 伝家の宝刀は抜かず、自主規制を促す状態
 盗聴法も事実上運用されていない。

・情報公開法
 警察は適応除外になってしまっていて、
 その活動内容をチェックすることができない
 中途半端な法律はあるのとないのと、どちらが良いのか
 なければ作れ、という活動が盛り上がるが、
 1度成立した骨抜きの法律を改正することは難しい
 (NPO法や情報公開法など)

・法案修正、オールオアナッシングの交渉
 法律・法案では、ディテールに見える文言でも、本質的なディテールがある
 その文言があるのとないのとで、巨大な利権の移動が生じる
 同じ名前の法案が通ったとしても、ディテールを少し変えるだけで
 中身の違ったもの、リスクの低い法律にできる
 全面反対、法案否決の姿勢では変えることは難しい、
 本質的な文言を少し修正して、リスクを低減するようなロビーイングが有効
 議員へのロビーイング活動を通して説得すれば、伝わる人には伝わる
 議員にはチェック機構は比較的に受け入れられやすい
 官僚は、自らの判断が正しいという前提がある為、受け入れられにくい

・審議会のアリバイ工作と叙勲
 公共事業などの是非について、
 多数可決でほぼシナリオが決定しているにも関わらず、
 反対派を少数参加させることで、議論したというアリバイを作っている
 審議会は2回出ると叙勲で、それが反対派のアリバイ工作員
 インセンティブになっているという
 あまり反対意見を言い過ぎると勲章を逃す、と言われて迎合する
 真に合理的な理念から反対している人と勲章欲しさにアリバイ工作で
 反対している人とを見分けることが難しい
 審議会を過大評価してはいけない

・盗聴法問題
 公明党、大森礼子議員が松尾邦弘法務省刑事局長に対して、

 神保さんの主張は間違っている、TBSが間違った報道をした、
 と追及し、法務省がTBSへの抗議文を作成し、記者クラブへ回した
 案の定、日テレ、読売、フジ、産経が「法務省がTBSに抗議」
 という記事にしたことで、全面的に法務省の主張を報道した。
 当時、TBSの岡田之夫報道制作局長が電車内での痴漢行為で
 逮捕されていたこともあり、釈明報道ができなかった。
 現場レベルでは釈明報道の話も挙がったが、自自公連立与党の中で、
 公明党議員からの抗議に、釈明報道を断念した

・盗聴法の報告義務
 アメリカでは、犯罪関連通話があったかどうか、
 令状1件1件について報告の義務がある
 この報告義務は、その盗聴が犯罪関連通話に対して
 なされたかをチェックするため
 日本では、個別の令状については報告義務がなく、
 全体の件数と犯罪関連通話の件数を報告すればよい
 これでは、個々の案件について、その盗聴が妥当だったかを
 検証する術がないため、盗聴し放題である

<書籍・映画>
なし

<所感>  2024年1月21日
  "ボス交"という言葉を初めて聞いたが、なるほど、小規模ではあるが、
 今までに身に覚えがあり、しっくり来た。その賛否は分かれると思うが、
 自分は賛成寄りだと思う。いわゆる、寄らしむべし、知らしむべからず、
 というやつだが、最近のトランプ復活などのニュースを見るに、
 「あえてぶっ壊す」という理念でトランプ支持を唱える人は少ないように感じる。
 ネタがベタになった、と感じるからだ。
 自分も学生の時分、先生の顔色を窺い、期待に沿うように回答してきたら、
 ベタになってしまった。矯正できたのは社会人になってからの諸先輩方のおかげ。
 マル激に興味を持ち、視聴を続けるのも、そのおかげ。
 感謝感謝。

 印象的な文言は、
 「経世会的なるもの」「ボス交」「料亭政治」
 「人材待望論」「病巣局在論」
 「伝家の宝刀」「自主規制」「実効性」

#0005_010316_メモ・補足

#0005_2001年3月16日
経世会が政界から消えることは何をいみしているのか


・小泉の首相立候補について
 メディアが野中より小泉の方がありそうだ、と感じたか
 森首相はおり方と、次期候補の決定方法は握っている
 総裁選前倒し論が出た
 総裁選には、推薦人など入念な準備が必要なので、
 出ないと宣言していた野中は出ることができない
 経世会としても、野中対小泉となったとき、万が一小泉が
 勝つことがあれば、その後の影響が計り知れない
 経世会は次の候補者として担ぐ人がいない
 経世会的なるものにとって、密室政治は得意とするところで、
 多数派工作で反対派に華を持たせるところまでやってのける
 森首相としては、今まで経世会にいいように牛耳られたまま、
 多数派工作で落とされることを拒否したのではないか
 ただし、これは現時点でということで、
 来週になればどんなスキャンダルが飛び出すとも限らない
 野中の芽がなくなったとすれば、長期的に見て、
 国民にとって良いことではないか
 森首相が長く居座ってしまうほうが、自公連立のような、
 (政教分離の原則に反する公明党がいるような)政界の
 構造改革促進にとっては早道かもしれない
 森首相の思惑がどうであれ、経世会的なるものを沈下する、
 沈下させる包囲網ができつつあるとすれば、
 個人的には印象が良い

 視聴者の中には、政界の話がちんぷんかんぷんで、
 経世会、清和会などの派閥の名前を言われても
 わけがわからないかもしれない
 そもそも自民党内でなぜ派閥があるのか、
 という議論も当然考えられるが、実際にその派閥の論理
 (永田町の論理)が跋扈している以上、避けては通れないだろう。

角福戦争の怨念
 自民党は政権維持互助会でしかなく、
 田中角栄が表舞台から降りて、大平、福田、中曽根を
 後ろから擁立して、多数派工作で総理に据えて、
 自分たちの権力構造を維持してきた
 しかし、ある種お世話になった部分もあるが、
 後ろからいいように操って、何かあれば首を挿げ替えられる
 という恨みが清和会、森派に溜まっていたのではないか

・利益誘導型の政治
 佐藤栄作田中角栄、ともに利権構造を作って政治を進めてきた
 誰が主導権を握るのか、ネットワークの質が違ったとしても
 利益誘導型の政治は続いていて、覇権がどこにあったかという違いだけ
 今後、違った新しい政治ができるのか、が問われている
 森が代わったからと言って、何かが変わるのか

田中康夫長野県知事の逆風
 側近の辞任や、市民オンブズマンの田中辞任の勧告など、
 脱ダム宣言への反発が起こっている。
 従来型の利益誘導型から急に舵を切ることに対して、
 周囲に不安があることが分かってきた。
 過去10年間で80万人の失業者が出た、
 それを土建業100万人の雇用で吸収してきた。
 経世会的なるものを批判することを簡単だが、
 過去20年間の日本そのものの実態であった
 悪い部分だけを切り離せば、良くなるというものでもない
 これまでは、利権調整で問題を先送りにしてきたが、
 それをせず、問題があらわになって肥大化してきたときに、
 きちんと向き合って対処できるのか
 急に舵を切って、いきなり対応することはできないだろう

・人材待望論
 多くの場合、良い人材を待望するか、
 良いシステムを待望するか、二者択一となる

(良い人材としては、親中派宇都宮徳馬など挙げられるが、今はいない)
 今、人材がいないとすれば、長い目で見て良いのではないか
 人材に頼らない根本的なシステムを考える良いチャンス
 民主党菅直人曰く、官僚役人主導の立法ではなく、
 議員立法や我々で法律を作ることが大事、という主張ではあったが、
 そのためには知恵が必要
 市民派の議員に英知が集まるようなシステムを考えなければならない
 それがないと、官僚役人の知恵に劣る政策、法案となる可能性がある
 政策秘書、政策シンクタンク、プロフェッショナルリサーチャーや
 オンブズマン制度が必要となるだろう
 さらには、公正な競争を阻害している記者クラブ制度や再販制度
 宅配制度などをどうするか、という課題もある

経世会的なるものの(裏取引)の廃止に伴うリスク

 今まで水面下で治まっていた問題が表面化して、対峙しなければならなくなる

 その対症療法、一時しのぎとして、杜撰な穴のある法律が濫立して、
 実害を及ぼす可能性が高まる
 特に短絡的な(タカ派のような)簡単な解決策を主張する
 パフォーマンスに注目が集まってしまう

 政治家がパフォーマンスで票を集める時代を経由する必要がある
 今までは、政治家がパフォーマンスさえできない状態で、
 見えないところで全てが決まっていた
 我々はパフォーマンスの意味が理解できていない
 なぜ、誰が、どういう理由でそういうことを言っているのか
 一旦、パフォーマンスを見て、その後の実効性を各個人が
 見極められるようになる必要がある
 (騙されて学習する必要がある)
 しかし、騙されて負う傷が深いと、簡単に回復できなくなるリスクもある
 そのバランスは非常に難しい

ファシズムの活用と危険性
 田中康夫知事の93%の支持は定義上ファシズムになるが、
 これを否定すると、政治的風土、民度の改善を案内するものが
 ほとんどなくなる
 この支持率を利用して、民主主義の何たるか、自己決定の何たるか、を
 体験として共有、教育していくことができれば、後に意味があったと言える
 逆に、愚策を弄すれば、ポピュリズム、人気取りの姿勢が悪だと
 認識されて手立てがなくなる

 田中知事にとっては、その政策が有効だったことを、後に
 証明し続けなければならないため、不利だと言える
 民度改善には100年かかるかもしれず、そのうち
 日本は世界の三等国になってしまうだろう

・メディアの虚構
 国会答弁などは全て官僚役人が書いたものを読み上げている
 下手をすると同じ役人が、質問と回答を一緒に書いている
 たまに、ボケた議員が聞かれる前の質問の回答を読む場面もあり、
 みんなで笑っている
 国会記者は、それを目の当たりにしてもなお、指摘せず、
 たまにメディアに出てきたと思ったら、評論家気取りである
 日本は韓国、台湾、ロシアの乱闘国会より下である

・ボス交政治の賛否
 田中角栄の元秘書早坂茂三曰く、
 「料亭でのボス交政治は良かった。それがいろいろなシナリオを作って
 全てを丸く治めて、無用なトラブルを最小限に食い止めて、様々な決定が
 できた。料亭政治ができなくなって、この国の政治がダメになった」
 これは半分真実ではないか
 今では、そういうボス交ができる資質の持ち主がおらず、
 料亭政治のような場で決定できる事柄もほとんどなくなっている
 今のところ、ボス交に代わる制度はなく、
 乱闘やパフォーマンスに懲りる、ということを経由しないと
 新たな制度は確率しない

・料亭政治ができなくなった理由
 ホテルオークラの料亭、山里にて
 政界の長老が政治家を読んで話を聞いていた
 去年(2001年)の11月に加藤紘一が呼ばれ、その場で
 12月の内閣改造を表明したら、その情報が漏れた
 メンバーは、
 早坂茂三(田中角栄元秘書)、
 三宅久之(元毎日記者)、
 中村慶一郎 内閣官房参与(三木武夫元秘書、元読売記者)、
 渡邉恒雄(読売新聞社長)
 このメンバーが我先にマスコミにしゃべってしまった
 料亭政治ができなくなったのは口が軽くなったからでは?

 これは、関係の複雑性が増して、
 敵が明確ではなくなったからではないか
 抜け駆けにあって不利益を被るという不安から、
 情報戦において、先に仕掛けて優位に立つ、
 という行動をとっている

 ある出来事が起こると、これが一体誰を利するのか、
 ということが以前ほど単純ではなくなってきている

55年体制の敵味方
 昔の2大政党制では、縦割りで敵味方がはっきりしていた
 YKKのような横を横断するものが登場して、わかりにくくなった

 逆に経済では、戦後、同業者組合が解体されて、
 全て縦割りの企業別組合になった
 資本主義の原理原則からいうと、同業者組合がないとばまずい
 企業ごとに分断されて、個別企業の利害調整と労使の問題が
 結びついてしまって妙なことになっている
 企業がひとつの共同体となってしまっている
 これも40年体制と呼ばれているものにあたるだろう

・戦後戦中体制の弊害
 これまで40年体制の弊害は様々な議論がなされてきたが、
 近頃になって、その焦点がかなりフォーカスされてきた
 つまり、病巣局在論、森が悪いから、などという単純な問題でなく、
 打って一丸となってものごとにあたる
 空気に支配されて、和を乱さないようにみんな頑張る
 突拍子もない理念を述べたり、和を乱すものはみんなで
 出る杭を打って潰す
 物事が失敗したときには、誰が責任を負っているのかわからない
 みんながその空気に流されてやったことになる
 スケープゴートに全ての穢れをなすりつけて内向きに謝罪させて
 留飲を下げ、感情的な回復を図る
 他者に対する感受性が極めて乏しいため、軍事、外交において
 戦略的な思考ができず、たえず長中期的な思考に流されている

 場合によっては、日本を打って一丸となって、ある方向へ導くことに
 資する、役立ってきたこのあり方が、まずい方向へいってしまっている

 これを変える必要がある、ということを確認するべきで、
 病巣局在論で、森が小泉に代わればよくなる、といった期待は良くない

記者クラブ制度のクローズドメンバーシップ
 PARC(特定非営利活動法人アジア太平洋資料センター)が
 重信房子(日本赤軍の元最高幹部)を支援したという記事に対して、
 抗議の記者会見を開いたが、それは司法クラブで行われた
 司法クラブは裁判所、検察、法務省記者クラブで、
 クラブに所属していないメディアは入ることができない
 神保さんは取材を申し込んだが、断られた

 市民側も、記者クラブで会見をやるようではダメ
 場所が無料だからといって記者クラブを利用してしまうと、
 既存のクラブのメディアしか参加せず、そのクラブ内での
 利権によっては伝えたいことが正しく報道されない可能性がある

 NGOの方で、公に開かれた記者会見をしたい場合は、
 すぐ横にある弁護士会館を利用してほしい、そこで会見すれば、
 違うメディア、フリーランス、雑誌、独立系も参加できる

 発信者側に知恵足りなかったために、我々の知る機会が失われた
 そういう知恵をみんなで共有することが必要である

個人情報保護法
 取材を通して逮捕される可能性がある
 報道、という言葉が定義された
 報道関係者として認定されたものだけが、個人情報の秘匿が認められる
 認定されていないものは、警察などの統治権力の開示要求を拒めなくなる
 表向きは、商業的な名簿利用を規制する法案
 これに反対するメディアがいないのは、既に自主規制の態勢に
 入っているからではないか
 下半身スキャンダルなどでは、被害者のでっち上げだけで、
 統治権力がメディアを取り締まれる

・リスクの高い法律とは
 メディア、教育関連の法案が多い
 盗聴法、個人情報保護法、青少年有害環境基本法など

 メディアとの利害関係という構造上、
 時の統治権力を守るために、有効に使える建付けになっていて、
 それを変える強い動機づけが、未来永劫起こりにくい法律

 それが悪法であることを報じる行為自体がその法律で規制される、
 あるいは、それを知る術が失われるような法律

・伝家の宝刀と自主規制
 違法と知りつつ、その行為を実行し、逮捕されることが
 悪法廃絶、問題提起の一番の近道かもしれない
 その法律が一番パワフルに効果を発揮するのは、
 伝家の宝刀は抜かず、自主規制を促す状態
 盗聴法も事実上運用されていない。

・利害による分断
 法律作成者の賢さ
 敵対勢力の利害を分断する法案を作成する
 ローマ帝国以来の大原則を踏襲して功を奏している

・情報公開法
 警察は適応除外になってしまっていて、
 その活動内容をチェックすることができない
 中途半端な法律はあるのとないのと、どちらが良いのか
 なければ作れ、という活動が盛り上がるが、
 骨抜きの法律を改正することは難しい
 NPO法や情報公開法など

・100か0か、オールオアナッシングの交渉
 法律・法案では、ディテールに見える文言でも、本質的なディテールがある
 その文言があるのとないのとで、巨大な権益の移動が生じる
 同じ名前の法案が通ったとしても、ディテールを少し変えるだけで
 中身の違ったもの、リスクの低い法律にできる
 全面反対、法案否決の姿勢では変えることは難しい、

本質的な文言を少し修正して、リスクを低減するようなロビーイングが有効

・盗聴法の報告義務
 アメリカでは、犯罪関連通話があったかどうか、
 令状1件1件について報告の義務がある
 この報告義務は、その盗聴が犯罪関連通話に対して
 なされたかをチェックするため
 日本では、個別の令状については報告義務がなく、
 全体の件数と犯罪関連通話の件数を報告すればよい

・審議会の参加者選定について
 公共事業などの是非について、
 多数可決でほぼシナリオが決定しているにも関わらず、
 反対派を少数参加させることで、議論したというアリバイを作っている
 審議会は2回出ると叙勲で、それが反対派のアリバイ工作員
 インセンティブになっているという
 あまり反対意見を言い過ぎると勲章を逃す、と言われて
 コントロールされており、本当に反対している人と
 勲章欲しさにアリバイ工作で反対している人とを見分けることが難しい
 審議会を過大評価してはいけない

 議員へのロビーイング活動を通して説得すれば、伝わる人には伝わる
 議員にはチェック機構は比較的に受け入れられやすい
 官僚は、自らの判断が正しいという前提がある為、受け入れられにくい

・盗聴法問題
 公明党、大森礼子議員が松尾邦弘法務省刑事局長に対して、

 神保さんの主張は間違っている、TBSが間違った報道をした、
 と追及し、法務省がTBSへの抗議文を作成し、記者クラブへ回した
 案の定、日テレ、読売、フジ、産経が「法務省がTBSに抗議」
 という記事にしたことで、全面的に法務省の主張を報道した。
 当時、TBSの岡田之夫報道制作局長が電車内での痴漢行為で
 逮捕されていたこともあり、釈明報道ができなかった。
 現場レベルでは釈明報道の話も挙がったが、自自公連立与党の中で、
 公明党議員からの抗議に、釈明報道を断念した

・自浄作用の順番
 マスコミ、メディアの健全化が第一
 統治権力の頂点が腐敗するのは基本原則、
 人身一新という形で一瞬更新されたとしても、
 固定した権力の中で必ず腐敗が生じるので、
 チェックするメディアが先ず健全化されなければならない

・情報収集の方法
 視聴者の方から、どのように情報を取ればよいか、
 と質問されることがあるが、
 根拠のある調査報道の記事は、大手の新聞一面にはでない
 本屋にしても、平積みになることはほとんどない
 自ら能動的に探しに行かないと発見できない


経世会
 自由民主党にあった派閥、竹下派小渕派
 1987年に竹下登金丸信らが田中派の大多数を率いて独立
 党内最大派閥として影響力を発揮したが、1993年に小沢一郎らが
 離脱して縮小。1996年に平成研究会に改称した。

*清和会
 清和政策研究会自由民主党の派閥。清和研または清和会
 2021年11月以降の通称は安倍派
 自民党内では、平成研究会宏池会と並ぶ名門派閥であり、
 保守合同時の日本民主党(更に古くは日本自由党
 岸信介鳩山一郎派)の流れを汲む。

角福戦争
 田中角栄福田赳夫による日本政治、長期に亘った激しい
 政争・権力闘争を戦争に例えて呼んだもの。
 1970年頃から竹下登が総理大臣に就任する1987年まで続いた。
 (旧制高等)小学校卒をアピールして党人色が強かった田中と、
 一高 - 東大 - 大蔵省とエリート街道を歩んで官僚色が強かった福田は、
 お互いの出身階層の違いによる擬似階級闘争の様相を呈していた
 とも表現できる。
 また、財政では田中が日本列島改造論を掲げ、経済成長路線の
 拡大を訴えたのに対し、
 福田は均衡財政志向の安定経済成長論を唱えている。
 外交(中国問題)では田中は
 親中派として台湾と断交してでも中国との国交回復を急いだのに対し、
 親台派の福田は台湾とのバランスを重視した慎重路線を打ち出すなど
 正反対のスタンスであった。自民党内でも反田中・反福田の議員が各々存在した

*田中金脈問題 (1974年)
 内閣総理大臣田中角栄が辞職するきっかけとなった政治スキャンダル。
 文藝春秋で特集が組まれ、立花隆の「田中角栄研究―その金脈と人脈」は
 1969年から1970年にかけて、田中ファミリー企業群が買収した土地の価格
 高騰を問題視した。信濃川河川敷の土地は、建設省の工事によって、
 約4億円が時価数百億円となった。工事前に田中ファミリー企業群が
 土地を購入していたことを暴き、資産形成の実態を報道した。
 発表当初、田中首相は記者会見にも応ぜず、ノーコメントで通していた。
 欧米メディアが金脈問題を紹介し、反響は日本国内よりも外国で注目された。
 10月22日の外国人記者会見では、田中首相は釈明を繰り返したが、翌朝
 各紙のトップ記事になると国内でも政治問題として広く注目されるようになり、
 内閣支持率が低下した。
 11月26日に「私個人の問題で、世間の誤解を招いたことは公人として不明、
 不徳のいたすところ」「私は国政の最高責任者として政治的、道義的責任を
 痛感しております」と竹下登官房長官田中首相の言葉を代読する形で
 退陣を表明し、12月9日に内閣総辞職をした。

ロッキード事件 (1976年)
 アメリカの航空機製造大手のロッキード社による世界的な大規模汚職事件
 主に同社の旅客機の受注をめぐって1976年2月に明るみに出た。
 この事件では日本やアメリカ、オランダ、ヨルダン、メキシコなど
 多くの国々の政財界を巻き込んだ
 全日空の新ワイドボディ旅客機導入選定に絡み、自民党元首相の田中角栄が、
 1976年7月27日に受託収賄外為法違反の疑いで逮捕され、その前後に
 田中以外にも運輸政務次官 佐藤孝行と元運輸大臣 橋本登美三郎が逮捕された。
 さらに収賄、贈賄双方の立場となった全日空社長 若狭得治、
 以下数名の役員及び社員、ロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、
 行動派右翼の大物と呼ばれ、暴力団やCIAとも深い関係にあった児玉誉士夫や、
 児玉の友人で「政商」と呼ばれた国際興業社主の小佐野賢治
 相次いで逮捕者を出した。
 また、関係者の中から多数の不審死者が出るなど、第二次世界大戦後の
 日本の疑獄を代表する大事件となった。
 この事件は1976年2月にアメリカ議会上院で行われた公聴会にて発覚しており、
 アメリカとの間の外交問題にも発展した。
 1976年、田中が金脈問題で首相を辞任した約1年3カ月後、
 そして、全日空L-1011トライスターが納入された約2年後、
 アメリカ議会上院で行われた外交委員会多国籍企業小委員会
 (チャーチ委員会)の公聴会で、ロッキード社が、全日空をはじめとする
 世界各国の航空会社にL-1011 トライスターを売り込むため、
 1970年代初頭に各国政府関係者に巨額の賄賂をばら撒いていたことが
 明らかになった

 日本においてロッキード社の裏の代理人的役割をしていた児玉に対し
1972年10月に700万ドル(当時の日本円で21億円あまり)を渡したこと、
次いで児玉から、小佐野やロッキード社代理店の丸紅などを通じ、
当時の首相である田中に対して5億円が密かに渡されたことを証言した。

 田中は1976年7月27日に逮捕された後、起訴され、
起訴の翌日に保釈保証金を納付し保釈された。
田中に対する公判は1977年1月に東京地方裁判所で開始され、
日本国内はおろか世界各国から大きな注目を集めることになった。
その後1983年10月には懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が下った。

 この第一審判決を受けて国会が紛糾し、衆議院解散のきっかけとなった
(田中判決解散)。

 田中はこれに対して「判決は極めて遺憾。生ある限り国会議員として
職務を遂行する」と発言し控訴したが、1987年7月に控訴棄却、
上告審の最中の1993年12月の田中の死により公訴棄却となった。
田中の秘書官であった榎本敏夫も田中と同日に外為法違反容疑で逮捕され、
その後起訴された。1995年2月に、最高裁で有罪判決が確定。
司法は首相秘書の最終審判決という形で田中の5億円収受を認定した。
また、死亡後の田中の遺産相続でも収受した5億円を個人財産として
相続税が計算された。

*脱ダム宣言 (2001年2月)
 長野県知事田中康夫氏は、多大なダム建設費用、維持費用と同時に、
 地球環境上看過し得ぬ負荷を与えるコンクリートによるダムの建設を中止し、
 100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を
 重視したいと訴える「脱ダム宣言」を発した。

*ボス交
 ボス交渉の略
 大衆のいないところで、ボスだけで物事を決めること

55年体制 (1955年)
 政権を握る自由民主党(2/3議席)と、野党の日本社会党(1/3議席)の2大政党が
 議会で対立する政治体制、1955年に成立した体制
 1955年の総選挙で、日本社会党憲法改正阻止に必要な3分の1議席を獲得
 与党日本民主党鳩山一郎内閣が目指す憲法改正阻止する目的もあり、
 1955年10月に分裂していた社会党の左派と右派が統一を実現し、
 憲法改正反対・非武装中立の立場をとった。こうした勢力を革新勢力と呼ぶ。
 憲法改正絵を目指す保守勢力も、自由党日本民主党に分裂していたが、
 社会党の統一を見て、1955年11月に保守合同を実現
 自由民主党を結成して保守勢力を結集させた。
 これにより社会党を中心とする革新勢力が議席の3分の1を維持し、
 対して保守勢力である自由民主党議席の3分の2弱を確保する、
 保守一党優位の政治体制(55年体制)が確立された。
 55年体制は40年近く続いたが、
 1993年の総選挙で自由民主党衆議院議席数の過半数を割り込み、
 日本新党党首の細川護煕による非自民8党派の連立政権が成立した。
 この政権自体は短命に終わったが、ここに自由民主党議席
 絶対多数を占めていた55年体制は崩壊した。

*YKK (1991年)
 自民党衆議院議員であった山崎拓加藤紘一小泉純一郎による盟友関係
 YKKトリオとも呼ばれる。ローマ字表記した際の3人の頭文字をとって
 このように呼ばれるようになった。
 1991年、自民党で実権を握っていた竹下派(経世会)に対抗する勢力として、
 加藤が同期のグループをつくろうと山崎と小泉に呼びかけたのが始まり。

破壊活動防止法 (1952年7月施行)
 暴力主義的破壊活動を行った団体に対し、規制措置を定めると共に、
 その活動に関する刑罰を定めた法律、特別刑法の一種で略称は破防法
 1952年5月の血のメーデー事件をきっかけとして、ポツダム命令の一つ、
 団体等規正令の後継として同年7月21日に施行された
 公安保障法案と、「ゼネスト禁止、集会デモ取締、プレスコード(新聞綱領)の
 立法のほか防諜法案」が準備されていた。
 このうち、プレスコード法案は単独法としては断念され、
 団体等規制法案→破壊活動防止法の「せん動」行為処罰として、
 防諜法案は刑事特別法として成立することになる。
 なお、1995年には地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教に対して
 解散を視野にした団体活動規制処罰の適用が検討され、公安調査庁
 処分請求を行ったが、公安審査委員会は「将来の危険」という基準を満たさないと
 判断し、破防法の適用は見送られることとなった
 これについては、オウム真理教にすら適用されないのなら、
 一体何に適用されるのか、実質的に適用できない法律ではないのか、
 という根強い批判もある。

#0004_010309_公の価値観と失敗学

#0004_2001年3月9日
作る会の教科書から考える日本の歴史観

教科書検定とは
 検定制度は先進国では少数、世界的に一般ではない
 戦後1947年、学校教育法の中で小中高で検定を実施するようになった
 反マルクス主義の世界観をチェックする検定が行われていたおり、
 執筆者側にもマルクス主義的な思想が支配的だったことの影響もある
 現状の日本の検定は、最低限必要なことと、それ以上書いてはいけないこと、
 を非常に狭いバンドを指示している

 現在は近現代史まで学んでから大学へ進む人が多い
 冷戦時代のマルクス主義の賛否という単純な二項図式でなく、
 イデオロギー、民族、利害の対立が非常に入り組んでいる
 こうした状況では、ある立場から見るとこう、別の立場から見るとこう、
 といったように多元的に、かつ並行的にリアリティや価値観を見せるような
 やり方こそが歴史教育、社会科にふさわしいと言える

 初等教育教科書検定がある国は、
 ドイツ、ノルウェー、中国、インドネシア
 初等教育教科書検定がない国は
 イギリス、フランス、ロシア、スウェーデンフィンランド
 アメリカ、カナダ、*韓国、*タイ、*マレーシア、シンガポール
 オーストラリア、ニュージーランド
 (*は中等教育では検定あり)

・教育方針、方策の移行
 近代過渡期の従来型は、
 年齢別の発達課題を設定し、
 一斉カリキュラムで同じことをやらせる
 という方式で、検定制度とは相性が良い
 これに対し、他の先進国の自己実現型は、
 個人カリキュラムを主体として、自己決定、試行錯誤ができるよう
 各人がどんな知識にどういう動機でアクセスするのかオープンにする

・パブリック、公、愛国心への2つの伝統
 旧枢軸国側の思想
 大いなるもの、崇高なものと一体化して人間は良きものになれる
 国とは、まさに一体化すべき崇高なもの、国自身が崇高である
 和をもって尊しとなす(聖徳太子)
 公の喪失は、万人が帰属する大いなるものが失われたという認識

 革命を経た"連合国"側の思想
 自分が自分で培ったものに誇りを持つ
 国とは、自由を支えるための必要最低限の公の器である
 我々が自由に試行錯誤できる元の公共財やルールは
 血であがなわれているからタダ乗りしてはいけない、
 それに向かった動機づけが必要である
 公の喪失は、違った人間と共生するために必要なルールや
 想像力の領域内において、コントリビューション(貢献)
 する動機を失ったという認識

 日本では、初めから出発点のずれが自覚されないまま
 愛国心や公についての議論が進んでいる
 意味の違う2つの公の解釈について、免疫がない

・日本の共同体文化と象徴天皇制
 そもそも日本国民という概念は天皇抜きに成立できなかった
 もともと国境といえば藩と藩の境で、日本人という概念はなかった
 古くは薩長が革命を起こすために天皇を持ち出した
 旧枢軸国側の主張をする場合、天皇制を掲げざるを得ない

・日本のねじれ
 天皇については、急速な近代化を経てねじれが生じている
 戦時中は打って一丸となるために、その後は革命の動機づけに、
 現代では、公の象徴として掲げられようとされているが、
 このねじれ故に、天皇をもってして国民を統一することは難しい
 日本国民は歴史の裏打ちがある利害集団である、ととらえ直す必要がある

新しい歴史教科書をつくる会
 日本はすごい、日本人はすごかった、そのことに誇りを持とう
 という姿勢が垣間見える
 日本のねじれや公の2つの伝統については知らなかったと見える
 "連合国"側の思想、価値観を提案しても、
 自己決定による尊厳の確保は、無理である、
 我々の伝統に反しており、文化にはそぐわない、と切って捨てる

・失敗の研究
 日本は"何よりもだめな日本"を経由せず、単に謝罪だけがあった
 自分は悪かったごめんなさい、というのと
 自分はダメでした、というのは基本的に意味が違う
 自分たちのどこがダメなのかを精査して、
 ディテールまで分け入って反省することをしていない
 謝罪を優先し、被害者の感情回復を最優先とした結果、
 具体的にどの部分がどうダメだったかを考えて、
 検証することができなくなってしまう
 誇りは誇りでいいかも知らんが、失敗は失敗として
 「悪ぅございました」ではなく、どこがダメだったのかを
 考える材料を提示できないのであれば、教科書として
 非常に価値の低いものになる。
 つまり、民度を上げることに寄与しない。
 なお、アメリカではベトナム戦争での失敗を研究して
 失敗学として発展させた

野口悠紀雄の40年体制
 戦前戦後は地続きであり、
 天皇陛下万歳アメリカさんありがとうへ、
 表面上は変わったが実際のシステム運営は同じ
 何かが起こったときに誰の責任か、ではなく、
 みんなが悪かったんだと、なぜか罪の意識を共有して突き進む
 戦後の経済成長には役立ったが、根本的に日本を敗戦に
 追い込んだ要因となった
 そこまで考察が及んでいない

・メディア報道と問題認識
 イエロージャーナリズムを見慣れてしまった結果、
 我々の問題認識や世論の熱が冷めてしまっていないか

 一般に、先進各国で教育や治安などの内政改革に
 手を付けるのは経済が停滞したとき
 順風満帆のときには、なんだかんだ言っても、
 成長して、失業率が下がり、賃金は上がっているじゃないか、
 といって、様々な制度の矛盾は覆い隠され、見過ごされる

 現状のメディア報道で、
 教育や治安が問題に上がるのは一般的だが、
 過去回帰型の(昔はよかったという)主張が多い

・経済の停滞と空洞化
 経済が成長している時には、
 日本の組織的原理は明白な害悪を及ぼさない
 成熟社会、成長が止まって、経済が停滞してからは、
 経済的な目標を掲げていた人が空洞化し、アノミーに陥る
 経済が停滞して、ここには夢はない、どこに夢を抱くか、
 誇りやプライド、日本独自の文化など、奇妙な価値観に移行する
 それ故に、従来あまり表に出てこなかった問題が急に浮上する

・日本人の国民意識
 仮に他国と戦争状態となった場合、
 我々に戦地へ赴く動機づけはあるのか
 きけ わだつみのこえに代表する故郷や家族のような
 自然共同体に帰依するのであれば、むしろ国のような
 大きな人為的な共同体からは志を背けるのが普通
 アメリカでは、全国民が自由・平等・尊厳のため、
 それを代表する合衆国憲法を守るために戦う、と答える

・自由と責任
 つくる会の書き方として、責任と自由、義務と自由
 という順番の表現があり、責任と義務が自由の前にきている
 自由が先で、逆転することはあり得ない
 滅私奉公、滅私が先にある日本的な発想は近代的思考と反している
 利益を享受するために私を殺すのではなく、自由を享受する代わりに
 血であがなわれた公共財へ貢献する

 自由と自由に必要な公共財
 公共財と公共財に必要なコントリビューション(貢献)
 を正しく認識した上で議論したい

・モデル提示要求
 最大多数の最大幸福ではなく、最大多数の最小不幸
 何が幸せか、一概に言えないので万人が試行錯誤して追求すべし
 しかし、人権侵害のような不幸については法律で担保する

 なぜか日本では、お上に何が幸せのモデルなのか示してください、
 と問うて、それを法的に裏付けてください、という
 何かにつけて、お上にモデルを提示してもらえないと邁進できない
 例えば、教育現場で、総合的学習の時間を設定したが、
 現場からはモデルの提示要求があった。
 個人カリキュラム化への移行期間として、
 文部省がモデルを提示せず、総合的な所轄の中でモデルを発見して
 教育に結び付けることだったが、まずはそれについてのモデルを
 文部省へ要求する

・大学生の将来の志望
 日本では7割が何をしたいのか、を持たない
 良い学校、良い会社、良い人生という教育が
 隅々にまで行きわたっていて
 何が自分の幸せかを試行錯誤できない

・青少年有害環境基本法
 有害メディアの悪影響論ではなく、
 幸福追求としての不意打ち回避、
 見たくないものを見ない、見せたくないものを見せない
 という海外の対応を紹介した
 大島議員からは、そうしたことを言う人はいなかった、
 何か言われても全面反対か賛成か、どちらかだった、と言われた
 官僚、役人としては、規制が増えれば利権が増える、
 もしくは、我々が正しい判断を下すべき、民衆に任せるべきでない
 という認識が強いのではないか

内閣法制局長官政教分離の原則についての解釈
 宗教団体の政治活動は課税権、警察権を
 行使していなければ問題ない、としている (1972年)
 これ以外の活動は全て許されている
 法律、法解釈を曲解して、違法を免れていることになっているが、
 憲法20条では宗教団体は政治の権力を行使してはならない、
 とあり、明らかに違法である

<書籍・映画>
きけ わだつみのこえ / 東京大学協同組合出版部編集 (1949)

<所感> 2024年1月14日
 日本の大学生の7割が将来希望の職業なし、という話は、まさに自分自身。
 恐るべきことに、いまだにこれと言って情熱を注ぐ趣味などなく、
 マル激を見ながら勉強する日々。
 学生の時分、社会や公民、歴史の授業が苦手で、何の役に立つのか、と
 疑問しかなかったが、職場改善の一助にしたいと思い立ち、この歳で
 興味を持つことになるとは、夢にも思わなかった。

印象的な文言は、
「無料乗り」「コントリビューション」
「最大多数の最小不幸」「血で贖われた公共財」
「モデル提示要求」「レミング」「失敗学」